「上陸? 島に?」
「小屋を建てたらしいわ」
 変化のない海には、そろそろ飽き飽きだ。
 そう思っていたのはハンナだけでもないらしく、船を降りて島に上陸しようという案に
賛成の者はけっこうな数いるようだった。
「でも……本格的に、長期戦ってことなのね」
 わかってはいたけれど、また、ため息が出る。
 そんなハンナに、サラエは何度目かの同じ台詞を繰り返した。
「望んで参加できなかった者は、多いわ。そんなことを言っているのがわかったら、恨ま
れるわよ」
 だが、そういうときのサラエは少し笑っているような気がする。きっと父親の顔を思い
出しながら言っているのだろうと、ハンナは想像していた。
「中から誰か出てくることはないの?」
「ないみたいね……あれっきりと言うべきなのかしら。それとも、一度も……かしらね」
 結局海中に見えた影は、誰のものかは確認できなかった。調査団の誰も、それに該当す
る者はいなかった。
 予想通り幾らかの研究者の疑心暗鬼を招き、ヒトエラ呼吸説が真面目に語り合われたり
もして、それは調査団内部に奇妙な波紋を投げかけていた。
「そういえば……」
 ハンナはふと、ディーのことを思い出す。
 ここにいるはずはない者。そして、ここにいるかもしれないと父親が言った者。
「……まさかね。あの子があんなに長いこと、潜れっこないわ」
 ハンナは自分の馬鹿々々しい考えを頭から追い出すように、首を振った。

「どうだ」
「もっと、サンプルがないと……」
 マークの問いに、リーは息をつく。
 多くの問題の根源たる、宇宙船の中で。
「言語体系、まったく違いますね」
 第二操縦室のメインシステムから切り放されたコンピューターを使っての、わずかに手
に入った「言葉」を解析する作業は難航していた。
 もとより、マークとリーは言語学者ではない。素人が言葉をこねくり回しても、先が見
える見込みは薄かった。
「だがなあ、ジェスチャーで話が通じると思うか?」
「そいつは文化がどれだけ共通しているか、ですね。可能性がないとは言えないが……」
 とんでもない勘違いを発生させる可能性も、否めない。
 言葉の壁はいつまでもコミュニケーションを阻むと、マークはうなった。
 これが未だ、能動的な接触を躊躇わせているヒトの側の理由だ。
 もしもロムの感応力がわかっていたなら、冒険的な選択に出た可能性もあったが……そ
れは彼らにはまだ知りえないことだった。
「……しかし、よく似てる」
「まあな。これだけ似てるんだ、文化の共通点も多いだろうよ……しかし、これはどうい
うことなんだかな。俺たちが宇宙に出た後、地上に残った連中は、何をしたんだ?」
 マークとリーの囲むテーブルの上には、六分の一スケールのディーとヤエの姿があった。
縮小して再生されているそのレコードは、船が降下を始める直前の時間の、操縦室のもの
だった。
 ロムの言葉は、ここから拾われたものだ。船外の壁のすぐ向こうにまでは時折やっては
くるが、海の中ではロムも喋れないからそれ以上のサンプルは拾うことはできない。
 それ以上を望むのならば、上に陣取っている帆船にマイクでも仕掛けてこなくてはなる
まい。それも検討はされたが、まだ実行には移されていなかった。
「姿勢制御機が水の中でも大丈夫なら、上まで行って集音機を仕掛けてきますが……」
 機械の体である二人は、水に浮かないのだ。
そのままでは船尾の出口から出て、その上に立つのが限界である。
「壊れるかな。真空と水じゃ、条件が違う。真空のほうが条件は厳しいが、防水が耐えら
れるもんなのか……一発でおしゃかだった場合、後が苦しくなるしな」
 そう言いながら、マークは立体映像のディーの耳をつついた。
「耳だよな」
「それより、尻尾があることのほうが驚きですよ」
 リーは映像の角度を変えて、自分のほうにディーの背中を向けさせる。すると、尻尾が
立っている。
「ネズミの尻尾みたいですよね」
「ああ」
「……自然に進化したんでしょうか」
 別の生物が進化を遂げたと思うには、それはヒトに似すぎていて、しかしヒトのなれの
果てだと思うには、その耳と尻尾は不思議だった。
「ネズミが猿と同じに進化した?」
 マークはリーの顔を見る。
 その視線にリーはわずかに目を細め、それから手を組み合わせた。
「……本当に神が自らに似せてヒトを創りたもうたのでしたら、また同じものを創るかも
しれませんよ」

「綺麗……」
 それは一瞬、島流しの絶望も吹っ飛ぶ美しさだった。
 準備や順番で、ハンナが島に上陸したのは、夕暮れのことだ。
 三日月型の島の珊瑚礁の砂浜が、きらきらしていた。
 浜の端には、バンガローのような小屋がいくつか既に建てられていた。
「一月ぐらいのバカンスだったら、申し分ないのにね」
 もう大量の水にも見慣れて、はしゃぐことはなくなったけれど。
 ハンナは、あとで島の中を歩いてもいいのかどうか聞いてみようと決めて、宿となるは
ずの小屋に向かって歩き出した。
 いっしょに上陸用のボートを降りたサラエは、もうだいぶ先に進んでしまっている。
 夜闇が近づいていた。
 ふと、木の生い茂る丘のほうをハンナは見た。何か動いたような気がして。
「鳥ぐらいしかいないって、言ってたのに」
 起伏の緩い珊瑚礁の島は、大型の獣が生きられるような環境ではないのだろう。昆虫類
や鳥類、わずかに爬虫類が確認されただけだと言っていた。
「気のせい……ね」
 こんな島には潜む場所もないのだから、とハンナはもう一度歩き始めた。

「この島に、いったん潜む」
 それは数日前の武装帆船ファンタスの上での言葉だ。
「パトリキアに絶対に見つからないで、こいつを完遂する方法はない。あとは、どこまで
そいつを遅らせられるかよ。いくら回り込んでも、昼間じゃすぐ見つかる。奴らは目もい
いからね。夜のうちに島に近づいて上陸、船は夜明けまでに出来るだけ島から離れる。朝
までに肉眼で見える範囲以上に離れられなかったとしても、とぼけて遠ざかるんだからね。
風向きには十分注意するんだよ」
 珊瑚礁の遠浅の海だって言っても、間違っても座礁なんて恥を晒すんじゃないよ! と
リスプはここで喝を入れた。
「どんぱちは、次の夜だ」
 潜んでいた自分と荷物……つまりディーたちは、島からボートで漕ぎ出す。距離がある
のは否めないが、迷うことはないはずだとリスプは言った。
 それは、目的地の真上にパトリキアの船が陣取っているからだ。灯は点しているだろう
から、それが間違いのない目印になる。
「日が暮れる前には仕掛けを海に出して、それを引っ張ってくるのよ。月の昇る時間に注
意して、ファンタスの灯は消しておく。それで、迎えにおいで。……ちゃちい仕掛けだか
ら、多分すぐに気がつくだろうけど、ちょっと気を取られてくれれば、それでいいわ。潜
っていられる時間はどーせ少ないんだし、足下であたしたちがうろちょろしていることを
見落としてくれれば、いいんだからさ」
 無事に自分たちを回収できればよし、できなかったら諦めて逃げろと、リスプは船に残
る船員たちに潔く指示した。
「まあ、取っ捕まるのも、覚悟の上だわね?」
 そうディーとシーサの顔を交互に見て、リスプは確認した。
 彼らがうなずいたのを見てから、ヨシノのほうを見る。
「……どうなの、この子は」
 口数の少なさも手伝って、ヨシノのぼんやりした風情は、事態を正確に理解しているか
どうかを疑わせたようだった。外見的にも、覚悟という言葉の似合わない子だ。
「わかっていますよ、本当は賢い子なんです。それに、調査団の方々にとっても結局彼女
は貴重な人材となるでしょう。代わりのある、私たちとは違います」
 捕えられることになったとしても、ひどい目に遭うことはないだろうとシーサは言った。
「そーゆー意味では、俺が一番危ねぇな」
 代わりどころか、最初から価値もないのだろうとディーは愚痴を漏らす。
「そんなことはありませんよ……ただ、君の価値を、誰もが理解できるわけではないかも
しれませんが」
 シーサの言葉はあまり慰めにはならなかったが、ディーもそれ以上に言い募りはしなか
った。
「まあ、いいわ……必ず、連れていってはあげる。ただし、一回こっきりだってことを忘
れないでね。たとえそれで何も起こらなかったとしても、失敗しても、二度目はないわよ。
おまえたちも、いいわね」
 船員たちの力強い返答があって、リスプは最後にこう言い足した。
「……ああ、パトリキアのほうから手を出してきたら、反撃していいからね」
 それが一番、嬉しそうだった。

 月は下弦。夕暮れ過ぎには、月はいない。夜半近くなってから、昇ってくるはずだった。
 散歩には暗すぎるか、とハンナは思ったが。
 海岸を歩く誘惑に負けて、ランプを手に、サラエにも内緒で外に出た。
 満天の星が降ってくるような空だ。
 船の上では空と海の区別がつかなくなって恐ろしくもあった星空が、地に足が着いてい
ると妙に安心して見れた。
 この空からあの船は落ちてきたのかと眺めていると、水音が聞こえた。
 他に何も音がなければ、遠くまで些細な音も届く。今は響きを邪魔するものは、さざな
みだけだ。
 ランプを掲げて、ハンナは走り寄った。
「お父さん……!?」
 水音の源は、ハンナが近づいたときには、もう海の上だった。かろうじて届いた明かり
が、ハンナにも見覚えのある顔を二つ照らした。
「ディー!? どうして!?」
 ボートは、岸を離れていく。

「しまった〜……どうしてここで、ハンナに見つかるんでしょうねぇ〜」
 シーサとディーは、ボートの中で姿勢を低くしていた。小さくなっていれば、ハンナの
記憶から消え失せるわけでもないのだが。
 偶然とは恐ろしい、とシーサは頭を抱えている。偶然を嘆いているのは、きっとハンナ
のほうもだろうが。
 今、ぎこぎこボートを漕いでいるのはリスプである。もう一組オールがあるが、それは
働いていない。それらは、ディーとシーサの手元にあるからだ。
「あんたたちも、とっとと漕ぎな! 見つかったんだから、なお急ぐよ! すぐパトリキ
アが動きだしちまう」
「すぐ動きますか?」
「動く。今の子、あんたの娘なの? 喋ると思う?」
「思います。母親に似て、生真面目なんです」
「じゃあ、動く。夜だから、灯で信号が出せる。誰が何をしてるかも、すぐ全部伝わるわ」
 お縄になるのは覚悟しておくのね……と、リスプは言った。そのあたりは瓢々としたも
のだ。
 リスプにとっての問題は、彼らを運び切れないかもしれないところにあるようだった。
「急ぐよ。もうそれしかない」

「海面を照らせ! 使えるだけ、灯を使え」
 コーラルは、ロープの先にランプを繋げたものを甲板からぶら下げて、海面を照らさせ
た。近くに寄れば、影なりなんなり捕えられるだろう。
 調査団には参加していないはずのフォーパ市の学者が島にいたと報告が入ると、すぐさ
まこうして、捜索が開始された。
 発見したのはシーサ博士の娘で、そして発見されたのはシーサ博士だという報告には
コーラルも愕然としたが、それだからこそ嘘はあるまいと判断もした。
 自費で追いかけてきたとしても、事前に聞いたシーサの経歴からすると納得はできる。
かのローズガーデンの発掘も、大学の協力を得られなくて自費によるものだったとコーラ
ルは聞いていたので。
 そして、それは事実だ。
「しかし自費で……? 船はどうしたんだ」
 南洋のド真ん中に、突然現れられるはずはない。運んできた船があるはずだった。
 コーラルは海面の捜索を続ける指示を出しながら、考えていた。
 気づかれずに近づいた船があるはずだ。
 パトリキオの指揮する船団にまったく気づかれずに、ということは、ただの商船ではな
いだろう。そして、ここにパトリキオがいることも知っているはずだ。
 敵を知り、十分に警戒し、それを実践できる技術があってこそ、それは成立する。
「飛行船を飛ばして、遠距離の警戒を強めておくべきだったか」
 痛みが走るほど、奥歯に力が入る。
 そのとき……
「船長! 灯が……!!」
 コーラルが甲板の向こうの闇に沈んだ遠い水平線に目をやると、複数の灯が点っていた。
「夜襲……?」
 下弦の月が昇るまでには、今しばらくの間がある。まだ夜闇は深い……
 若いパトリキアたちは、それをやはりどこかの沿岸の都市国家の夜襲であると判断した
ようで、次々とコーラルに指示を求めてきた。
「いや……待て。ボートの捜索を続けろ。このタイミングはおかしい。この二つが、偶然
に同時に起こった可能性は低い。紛れ込んでいたのは、フォーパ市の博士だということは
判明しているんだ。フォーパ市は連邦の一都市で、自力ではこれだけの船は調達できない」
 他の都市国家がシーサに協力するか、シーサが他国家に協力したのだとしても、あまり
にデメリットの大き過ぎる行為だ。とても、正気の沙汰ではない。
 混乱の中でも、命令に従ってボートの捜索は続けられた。だが、集中力が欠けたことは
否めない。
「船長……! 報告が。ボートが発見されましたが……既に、誰も乗っていなかったそう
です」
「水に入ったか……」
 コーラルはもう一度、漁火のような灯を見た。近づいているようで、近づいていないよ
うな、その灯に目をこらす。
「あれは囮だ! ボートの捜索から目を逸らすための……ボートを降ろせ! 泳ぎの得意
な者だけついてこい」
 夜の海水浴は、安全とは言いがたい。
 だが、その危険を侵しても、パトリキアを出し抜いた者がいたのだ。

 息が続かない。ディーはすぐにそう思った。
 何度か潜り、何度か浮かび上がった。
 浮かぶときには灯が直接照らさない場所を選び、息を継いで、また潜る。
 沈んだ船を求めて……
 離れないようリスプの髪に巻いていた長い赤い布を裂き、それで手を繋いで、四名は海
に入っていた。
「もう……私は……」
 だが、先に音を上げそうになったのは、シーサだった。
「諦めるかい?」
 乱れた息が落ち着くまで待つと、シーサはもう一度続ける意志を示した。
 泳ぎが下手なのはシーサとディーで、リスプはもちろんだが、ヨシノも平然としていた。
 ディーとシーサは船で移動している間に、かなり荒っぽい方法で特訓を受けたのだが、
いかんせん時間が少なかったので泳ぎが完璧とは言いがたい。まあ、それでもいきなり溺
れないだけ、マシになったほうではあろう。
「あんたたち、目開けてるかい?」
 ディーは開けてるつもりではあったが、暗くてよくわからないというのが正直なところ
だった。
「多分、この真下に……」
 ばしゃん、と、そのとき波が起こった。
「まず……降りてきやがった! 潜るよ、多分これが最後だ!!」
 ボートを降ろした揺れが、波紋になって広がっている。
「いたぞ……!」
 という声が、水に入る直前、ディーには聞こえた気がした。
 息が続かない。また、そう思った。
 だが、今度こそ目的のものが目の前にあることもわかった。
 暗い海の中でなお黒く、それは沈んでいた。
 その中に、彼女がいるのだとして……どうやってその中に入るのだろうか。
 その冷たい壁に手が触れたとき、突然わきあがったあまりの絶望感に、ディーは息を吐
いてしまった。

「誰か、壁に触れたな」
 警報というには甘い音が、船内に響いた。
「この時間にですか? 船外では、活動時間じゃないでしょう?」
 自転周期から割り出した船外時間は、夜半に近づきつつある。
「一応モニターを確認してみよう。でかい魚かもしれないが」
 センサー類はほぼ生きているようで、船体に接触したもののデータは拾うことができた。
 こういうサーチ作業ならば、十分に第二操縦室で作業が可能だ。ヤエのいるはずの、第
一操縦室には未だに入れなかったが……
「おい、見ろ! こいつは……!」
 マークが興奮した声を上げ、モニターを指し示した。
「来たんですね……ヤエの言葉が、通じていたとは思えませんでしたが」
 溺れかかったディーの姿を、センサーは捕えていた。
「いや、でも、こいつ溺れてるぜ。助けてやらないと……!」
 マークは第二操縦室から、走り出した。船尾の非常ハッチにまでは遠く、間に合わない
かもしれないかとは思ったが。
 そのとき、船体がわずかに揺れた。
「な……?」
 廊下で、驚いてマークは足を止めた。
「ヤエが目を覚ましたのか?」
 第二操縦室に残っていたリーは、更に驚いていた。目を細め、モニターに顔を近づける。
「あれは……いったい何号ですか?」
 モニターの中ではハッチが開き、吐き出される空気の代わりに水が流れ込む。
 その中に吸い込まれるように、船の回りにいた者たちの姿も消え失せた。

 中に吸い込まれた後、その小さな箱のような部屋にもう一度十分な空気が注入され、水
がすべて抜けていくまでには、リスプさえも力尽きかけていた。
 その一連の水の動きは、それほどに乱暴だったということだ。
 シーサとディーに至っては、その時点では意識はなかった。ヨシノが揺らすと、シーサ
はすぐに目を覚ましたが……
「……私がしよう、どきなさい」
「兄さんっ」
 そこには一名だけ、繋がっていた四名以外の者が紛れていた。
 追いついたのは、一名だけだったと言うべきか。巻き込まれて吸い込まれたのが一名だ
けだったと言うべきか。
 だが、コーラルがその場では一番元気だったと言えるだろう。
 ディーの胸を押して水を吐かせる。幸いにも大した量ではなかったようだった。
 それから、心音と呼吸を確認する。呼吸もあったが、まだ浅かった。手順に沿った処置
で呼吸が通常に戻るとほどなく、ディーの意識も戻ってきた。
「まだ動かないほうがいいぞ」
 見知らぬ顔にそう言われて、ディーはぼんやりから混乱に意識の状態が移るまで、しば
らくかかったように思う。どれだけ経ったのかわからない頃、あたりを見回した。
 知っている顔を確認して、少しほっとする。
「しかし、やってくれたな……リスプ」
 コーラルはディーの肩を押さえながら、妹の顔を睨んでいた。
「こういう契約だったのよ」
 しれっとリスプは言った。だが、コーラルの顔を正面から見ようとはしなかった。
 こういう形で対面することは、計算のうちには入っていなかったのだろう。
「感謝してよね。おかげで中に入れたんじゃない。どうせ、何もできてなかったんでしょ」
 それは当てずっぽうの当て擦りだったが、真実だったので、コーラルの表情は更に険し
くなる。
「こんな形で中に入っては……」
 コーラルは、今は閉じられたハッチの扉のほうを見た。だがその境目がどこにあるのか、
見当もつかない。
「侵入者だと思われてもしかたないぞ」
 そう言いながら、どうして彼らが近づいた今だけはその扉が開いたのかにも、コーラル
の想像は及んではいた。
「呼ばれたからよ」
 リスプがそれを言葉にするまでもなく。
「この船が、この子を待ってたのよ。あたしはそれを、お届けに上がったというわけ」
 荷を届ける、そのゆく道に立ちはだかる者には何者にも容赦はしない……ロムのかつて
の天敵を模した旗を掲げる船団は、それで勇名を轟かせる。
 その勇名の一端を担う妹に、コーラルは苦い眼差しを向けた。
「ならば、その迎えが来てもいい頃だが」
 そういやみともつかない発言をコーラルがした、そのとき……
 彼らが気にしていたのとは異なる方向の、扉が開いた。
『ようこそ……と言うんでしょうかね、こういうときには』
『なんか、まぬけだな』
 それが、宇宙より帰りきた人類とロムとの、事実上のファーストコンタクトだった……
のだろうか。
 どの時点をそう呼ぶべきか、それは意見の別れるところだろう。だが、このときが、そ
の一つに数えられることは事実だ。
 ヒトの言葉でも、ヤエのものは感応力のおかげで理解できる。だが、現れた二人の男性
の言葉は、ディーたちロムにはわからなかった。
 その差がなんなのかを彼らが理解できるようになるのは、まだ先のこと。
『ヤエは!?』
 ヨシノには彼らの言葉は問題なく通じ、そしてそれと同じ言葉で答えた。
『おっと……』
 他が立ち上がるのがやっとという風情であるのに対して、それは機敏なほどの動きで、
ヨシノは二人にぶつかるように問いかけた。
『六十五万年も、よく残っていてくれたもんだ……君は何号だ?』
 男性の一人……マークの問いかけに、ヨシノは目に見えて戸惑っていた。
 その答も、ヨシノの思い出せない記憶のどこかにはあるのだろうか。
 その戸惑いに、マークとリーも戸惑ったように視線を交わす。
『おい、違うんじゃないのか?』
『だとすると……本当にヤエが目を覚ましたということなんでしょうか』
 二人が急いで操縦室に向かうべきかという相談をしていることは、ヨシノにだけはわか
った。
『ヤエのところに行くなら、私も連れていって!』
 残り四名は、感応力で読み取れるヨシノの発言だけから話の流れを察しなくてはならな
かったが……
 ディーにとっては、それで十分だった。まだ床に転がっていた状態から、むりやりに起
き上がる。
「待てよ……俺も行く」
 這いずってでもという気力だけで、ディーは前に進んだ。止めようとするコーラルの手
を可能な限りの力で振り払って、そのまま前の二人へと伸ばす。
『彼も、連れていって。ヤエが呼んだから来たのよ。会わせてあげて』
 リーはヨシノの願いにうなずいて、伸ばされたディーの手を取った。そして、その体を
軽々抱き上げた。
「うわっ」
『この少年のことは俺たちも知ってる。どこから来てくれたのかは知らないが、近くはな
かったろう……よくたどり着いてくれたもんだ。もしヤエが、彼がここに来たから目を覚
ましたんなら、俺たちは彼に感謝しなくちゃいけない』
「ま、待ってください」
 ヨシノとディーを連れて入ってきたところから出ていこうするリーとマークを、シーサ
もよたよたと追って廊下に出ようとする。
 ならば、リスプもコーラルも、その場に残る理由はなかった。
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