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 図書館で借りる本を選んでいた時に、なんだか酷く顔を顰めて椿君が言った。
「なあ、苗床」
「何?」
「俺な、最近『電波を受信する』ってことが、どういうことなのかわかるようになった気
がする」
 ……この男は、いったい急に何を言い出したかな。
 中学の時の、江巣破君を思い出す。
 あれは、岡君の気を惹きたいがための嘘だったわけだけど。
 椿君には、そんな要素はなく、そんな必要もないはずで。
 でも、本気だとはとても思えない話だ。
 大体、そういう話は鼻で笑うタイプじゃなかったっけ?
「……椿君、そんな飛び道具使わなくても十分天下を取れる資質があるんだから」
「なんだその天下って」
「オカルトの本でも読んだの? 何読んでんのさ」
 椿君が手に取っていた本を覗き込んだら、量子力学の本だった。
「……電波?」
 本を指さす。
「これは電子だ」
「ホントに霊とか、ESPとか?」
「本で読むのはいいが、別にそんなもん信じちゃいねー」
「じゃあなんで電波?」
「説明が上手くできねぇな。電波が一番近い気がする。じゃなけりゃ、直感か第六感か」
 なんだろう、なんか、マジっぽい。
「ものすごく限定的になんだが、理屈じゃないものがわかるようになったって言うのか」
 考えこんでいる様子が、本気を感じさせる。
「……疲れてるんじゃない?」
「神経が尖ってるのかもな」
「なんか悩みがあるなら聞くけど?」
「…………」
 椿君は私の顔をしばらく眺めて、溜息を吐くように顔を背けた。
「いい」
 むぅ。
 頼りにならないか、私は。
 他人の相談に乗るってのは、確かに未知の分野だけどさ。
 話したくないことは無理に聞き出すことでもないかと、私も話を変えることにした。
「こないだ借りてった本、今日返す?」
「ああ、持ってきてる」
 椿君とは趣味とか傾向が似てるから、読む本もしょっちゅう被る。
 私は自分でもマニアックな趣味だと思うけど、椿君はそれをやや浅く広くした感じだろ
うか。椿君のお姉さんの方が、私に近い濃い趣味かもしれない。
「続けて、私借りたい。代わりに返却手続きしてくるから、もらえる?」
「いいぜ、ほら」
 椿君は鞄の中から借りてた本を出した。
 本と一緒に貸し出しカードも受け取って、返却と貸し出しのカウンターの方へ向かう。
 その途中で。
 狭い本棚の隙間で上手くすれ違えなくて、人とぶつかった。
「すみません」
 持っていた本とカードを取り落とす。
 ぶつかった相手が拾ってくれて。
「ありがとう」
 お礼を言うと、その……他校の制服を着た同年背の真面目そうな男子はカードを渡しな
がら聞いてきた。
「あの、聞いてもいい? この名前、なんて読むの?」
「え? これは、つばき、はる、だけど」
 椿君の名前。
「そう読むんだ。……良く同じ本を借りてるみたいで、ちょっと気になってたんだ」
 彼は、少し頬を染めて、そう言った。
 ……学校外にも、椿君のフェロモンの犠牲者が。
 図書館でただ本を借りてても人を惑わすのか、あの男は。
 本当に同性も引っかかるところがすごいよ……
「ありがとうございました。それじゃ」
 それ以上何か椿君のことを訊かれても気まずいので、そそくさと私はカウンターの方へ
逃げ出した。
 カウンターの前に立ってから、ふと思う。
 椿君の『電波』発言は、今の彼の気持ちを感じ取ったって話だったのかもしれない。
 男に想いを寄せられてる気がするっていうのは……そら話し辛いわな。

 それからしばらく経った、ある日。
「椿君、校門のとこで人が待ってるけど」
 放課後、部活に行こうかって時間の教室に、校門のところにいる人物に頼まれた同級生
が呼びにきた。
 天下の椿初流は、他校生からの告白も多い。
「またか。俺はもういなかったって言ってくれ」
 うんざり感満載で、椿君はそう言った後。
「……いや、待てよ、どんなヤツだった?」
「男だよ。あの制服どこだっけ、私立じゃないか」
 隣で耳をダンボにしていた私は、そそくさと窓に寄る。
 校門か、ここから立ってるとこちょっと見えないかな。
「男か」
「なんというか、真面目そうな」
 あれじゃないかな、図書館の彼。
 窓から覗いて、校門に隠れている人影が見えないか目を凝らす。
「苗床!」
 呼ばれて、慌てて私は振り返った。
「ちょっと行ってくる」
 お。
「ここで待ってろよ」
「呼び出しに応じるとは珍しいね」
「……電波を受信したんだ」
「なるほど」
 やっぱり図書館の彼だと、椿君も思ったんだろう。
「二度と近づかないように、釘刺してくる」
 あー……可哀想だけど、しょうがないかな。
「行ってらっしゃい」
 そして椿君が教室を出ていくのを、見送った。





  ――とうとう来てしまった。
 制服で図書館に来ていることが多いから、宝校の子だっていうのは前からわかってた。
 名前は、こないだ訊いた。
 気になり始めたのは、なんだかしょっちゅう同じ本を借りている気がしたから。
 見つからなくて誰かが借りていると思ったら……ということが多くて。
 趣味の合う人となら楽しく話せるんじゃないかと、そう思ったのがきっかけだった。
 ……もしかしたら、いつも一緒にいる人が恋人なんじゃないかと、思ったけど。
 ちょっと釣り合わない気もしたし、そうじゃないことに賭けて、僕はここまで来た。
 どうか、と、祈るように待っていると。
「待たせたな」
 ……僕は、僕の前に立った彼の姿に絶望した。
「あ、あの」
「待ち人と違ってて悪ぃが、あいつは出て来ねーよ」
 ……やっぱり恋人だったのか。
「図書館であいつのこと見てたよな」
 気がつかれてたんだ。
「迷惑だから、やめてくれ」
 僕は恋が破れたことに溜息を吐く。
「……すみません」
 僕はただ、立ち去るしかなかった。
 後ろから、微かに――
「……名前を間違えてくれたのは助かったぜ」
 ――そんな呟きが聞こえたような気がしたけれど。
 僕は名前を間違ったのか?
 確かに、彼女自身に訊いたはずなのに……





「おかえり。モテる男も大変だね」
「おー」
「こないだの電波の話ってさ、これ?」
「……だな」
「視線を感じたとかかな。確かに理屈で説明し辛いね」
「電波でいいさ。追い払ってきたから、もう来ねーと思うが……花井にバレたら叱られる
な」
「なんで?」
「もっと広い心を持てってさ。こないだ叱られた」
「しょうがないじゃん、そもそも言い寄って来る人と全員は付き合えないんだし」
 ずっと微妙な顔をしていた椿君が、そこでようやく笑った。
「……だよな」

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