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 月曜日の、下校時間。
 いつもと同じに苗床が自転車を取りに行って、戻って来るまでの間は校門で待つ……つ
もりで校門の前に出たら。
「椿君」
 花井がいた。
 ……ちっ。
 内心、舌打ちする。
 何の用事かわからないが、花井がここまで来たんなら、今日の放課後の苗床を持ってい
かれたのは確定だ。
 休みの日やらは俺抜きで二人で遊んでんだから、平日くらい俺に譲れよ。
 そうだ、昨日も一緒に遊んでたんじゃなかったのか。
「かのちゃんは?」
「苗床は自転車取りに行ってるぜ。苗床になんか用なのか? 昨日、忘れ物でもした? 
渡しておこうか」
 そんなことを言っても意味ないことはわかっている。
 忘れ物でもなんでも、花井が苗床に渡すものを俺に渡して、ハイサヨナラなんてことは
ありえない。
 ありえないけど、希望くらいは述べても良いだろう。
「まだ来ないんなら、ちょうど良かった」
 だが花井は苗床がここにいないことに、微笑んだ。
 ……ちょうど良かった?
 どういうことだ、と、思う間もなく。
 ――抜き打ちの平手が、俺の頬で鳴った。
「な!?」
 ぱーんと周り中がびっくりする程のイイ音が鳴って、痛みよりも驚きで花井の顔を見返
した。
「椿君のすけべ!」
「なんだよ、花井!」
 いったい、なんだって言うんだ。
「聞いたんだから、かのちゃんに」
「何を」
 その返事は、静かに、花井のものとは思えないような地の底から響く低い声で返ってき
た。
「……胸触ったって」
 ……胸?
 あれか。
 俺はすぐに浮上してきた記憶を咀嚼して、花井を言いくるめるべく息を吸った。
 部活終わりの時間とは言え、校門の前だ。
 目撃者は既に多い。
 苗床に被害が行かないように、宝高の校内では俺と花井は付き合ってることになってる
から、ケンカしてたとか話が広まるのは避けたい。
「誤解だ。聞け、花井。あれは、苗床が階段から落ちかけたんだ」
 これは事実だ。
「その前に、苗床が薄着してきてて寒がってたからマフラーを半分分けてやってたんだ。
半分ずつ一緒に巻いてたから、苗床が落ちたら俺も巻き込まれるしな……まあ、そうでな
くても支えるのは当然だろ?」
 話しながら、その時のことを思い出す。
 おふくろが買ってきた長いマフラーは女物のストールみたいでダセぇと思ってたが、あ
あいう時に良いもんだと思った。苗床は、貸してやるって言っても素直には借りてくれ
ねーしな。人目を引くのは嫌がるくせに、立場はタイでないと嫌がるし。
 全部貸してやってもいいとは言ったんだぜ?
 でも、苗床が、俺からマフラーを取って俺が寒くなるのは駄目だって言って、二人で巻
いたんだ。
 俺は役得だったけどな。密着できて。
「だから、あれは不可抗力だったんだっての」
 よしこれで完璧だろ、と思って花井の顔を見ると。
「それはかのちゃんから聞いたけど」
 花井の大魔神みたいなオーラは、引っ込んでいなかった。
 む、これじゃまだ駄目か?
「その後、しばらく離さなかったって聞いたんだけど……?」
 あー。
 それも事実だ。
 いや、ほら、さすがに偶然でもないと、さすがの苗床も胸触ったら怒るだろうし。
 一度触ったら、感触を楽しみたいのが人情ってもんじゃね?
 揉むまではしなかったんだぜ、そこは自重したんだ。
 ……と、正直には言えないんで、誤魔化すことにした。
「落ちたら危ないからな、階段から離れるまでな」
 そうは言ったが、花井の疑いの眼差しは止まない。
「椿君」
「なんだよ」
「かのちゃんがそういうのに鈍いのにつけ込んで、好きにしてるでしょう」
 ……悪ぃかよ。
 そこまでしても気がついてくれねぇんだから、しょうがねーだろ。
「椿君のすけべ」
 む……
 静かに言われる方が堪えるな。
 ……どう言い返すか考えているうちに、苗床が来た。
「椿君ごめん、遅くなって……あれ、桃ちゃん?」
「かのちゃん」
 ぱっと花井の表情が明るく変わる。
 こいつ……!
「かのちゃん、一緒に帰ろ」
「えっ、それだけのために来たの?」
「うん」
 何?
 もしや、花井、ずっと放課後に来る気じゃ……!
「駅まで?」
「ううん、かのちゃんちまで行こ」
「桃ちゃんが帰るのには遠回りだよ」
「椿君もいつもしてることだし、大丈夫」
 ちらっと花井が俺を見た。
 花井め……!
 俺がギリギリしていると、苗床が朗らかに振り返った。
「椿君、歩きだと時間かかるし、先帰ってもいいよ」
 苗床ー!
 ……いや、ここで諦めたら、負けだ。
「平気だ、気にすんな」


 そうしてしばらくの間、警戒した花井が苗床を迎えに来る日が続いた。
 俺と花井の喧嘩の噂話については、毎日花井が現れて見かけ上は穏やかに三人で帰るの
で、それで相殺されたらしい。
 やがて定期考査が来て、花井が補習地獄になって宝高まで迎えに来れなくなった時に、
俺は一瞬心から勝利を叫んだが!
 ……今度は苗床が花井の勉強の面倒を見に行くと、俺を置いて帰ろうとするようになっ
た。

 俺が本当に花井に勝てる日は、いつのことか……

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