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 最近の江戸の町を騒がせているのは、続く闇討ちと辻斬り。
 闇討ちは、ある道場の門下生を覆面をした男が夜陰に乗じて狙ったものだ。下手人は不
明。誰の仕業かという噂はあるけれど、まだ噂の域を出ない。
 辻斬りは、まったく下手人像が掴めない。でも始まった時期が同じなので、実は闇討ち
と辻斬りの下手人は同じじゃないかという噂も流れている。
 でも、すべては噂だ。
 噂なんて曖昧なもので、瓦版は書けないからね。
 瓦版屋のかのこ様は、この真実を掴んでみせるよ――ニシシッ!
「なに気持ち悪ぃ笑い方してんだ」
 ぽん、と頭を叩く手があって、見上げると夏草屋の用心棒をしている椿様が見下ろして
いた。
「私はこれがいつものことだよ」
 手を払えば、椿様は気にもせずに隣に座った。
「夏草屋の用心棒が、こんなとこで油売ってていーわけ」
 椿様は若いのに食い詰め浪人で、夏草屋の若旦那の透太に拾われてきたって話。
 夏草屋の用心棒ってったって、働いてるところは見たことがない。顔がいいから、呉服
問屋の大店夏草屋の、客引きに使われてるのが実情じゃないかと思う。
 実際椿様が用心棒を始めてから、夏草屋にはそりゃあもう椿様目当ての女も男も押しか
けてるって話……
「仕事だよ」
「仕事って、この団子屋で?」
「ほら、仕事だ」
「かのちゃん」
 椿様の指さした方を見ると、斜向かいの小間物屋から出て来た可愛い薄紅の着物のお嬢
様が、小走りにこちらに向かって来るところだった。
「桃ちゃん」
 桃ちゃんは花井屋のお嬢。
 大店のお嬢なのに、縁があって瓦版屋の私と仲良くしてくれてる。
「買い物?」
「お稽古の帰りなの」
 にこにこと桃ちゃんも私の隣に座る。私は桃ちゃんと椿様に挟まれる形になった。
 桃ちゃんも椿様と自分の分のお団子を注文して、腰を落ち着ける体勢だ。
「いつから桃ちゃんの送り迎えまでするようになったの?」
 夏草屋の用心棒が、花井屋のお嬢の送り迎えって筋が通らないじゃん。
「今日からな。透太に泣きつかれた」
「なんで」
「世間は辻斬りとやらで物騒らしいぜ。送り迎えについてってくれって泣きつかれたんだ
よ。昼間っから辻斬りは出ねぇだろうが、心配らしい。……お前も気をつけろよな」
「私は大丈夫だよ」
 と、返すと、椿様はハッと嘲って私を見下ろす。
「自分は大丈夫だとか言う奴ほど危ねーんだよ。しかもお前、自分から危ない話に首突っ
込むし」
 何ぬかす、という顔だ。
 ……ちょっと悔しい。
「しょうがないじゃん! 仕事なんだから」
「嘘だな」
「何が!」
「お前は自分の興味本位で危ない話に首突っ込んでる」
 ……しまった、否定できない。
「かのちゃん……辻斬りは本当に危ないよ?」
 心配そうに、桃ちゃんが私を覗き込む。
「あ、桃ちゃん、お団子きたよ」
 桃ちゃんに心配されるのには弱いので、団子屋の看板娘が持ってきた団子を示して気を
逸らした。
「かのちゃん……」
 でも気を逸らし切れなかった気がするので、言い訳を続けてみることにした。
「ホント大丈夫だって。私が今追っかけてんのは、辻斬りじゃなくて闇討ちの方だし」
「か、かのちゃん、あんまり大丈夫そうじゃないよ。闇討ちなんて」
「いやいや、桃ちゃん、辻斬りと闇討ちは違うから!」
 そこで、闇討ち事件の説明を桃ちゃんにする。
「闇討ちは狙われる相手が決まってるんだから、私は危なくないよ」
 そう言って、桃ちゃんを丸め込もうとしたところで。
「そりゃ甘いだろ」
 と、椿様が横槍を入れた。
「椿様は黙っててよっ!」
「下手人は尻尾を掴まれたと思えば、口封じに走るに決まってるだろーが。首突っ込むな
って」
 そんなことはわかってるって。
 今は桃ちゃんを宥めるのに、そういう話は伏せてるの!
「かのちゃん……危ないことはしないで」
「桃ちゃん、ホント大丈夫だから。闇討ちはね、被害者がみんな同じ道場の門下生なんだ。
だからこの道場に恨みを持つ者か、関係者しか考えられないんだよ。それで道場の門下生
の一人がさ、同門の行方知れずの大名家の若君を下手人だって言ってるんだよね」
「へえ?」
 そこで椿様は興味を引かれたように、屈んで私の顔を覗き込んできた。
 椿様は背が高いけど、私はすごく小さいから、座ってても屈まないと視線が合わない。
「それ、誰?」
「どっち? 言ってる方? 下手人だって言われてる方?」
「両方」
「言ってるのは和塁藩の若君。言われてるのは椿藩の若君」
「……へえ」
 そう言いながら、椿様は屈んでいた背を伸ばした。
「そう言えば、椿様も椿だね。椿藩の縁者? ……大名家と縁があったら、浪人なんかし
てないか」
 背筋を伸ばした椿様の横顔を眺めながら、訊いてすぐに自分で結論を出して、私は桃ち
ゃんの方に改めて向き直った。
「そんなわけでね、和塁藩の若君は椿藩の若様を下手人だって言って捜してるわけ。それ
が本当かどうか、行方知れずだって言う椿藩の若君を捕まえて、聞いてみたいところなん
だけど。和塁藩の若君が探してるから、ちょっと貼り付いてみたんだけど、どうもあてが
あるわけでもなさそうでさあ」
「かのちゃん……」
 ……しまった、失敗したかな。
 桃ちゃんの心配そうな顔は、泣きそうな顔に変わりつつある。
 どうしよう、あとはどう話すべきか。
 そんなことを迷いだしたところに、走って来る人が。
「――椿様!」
 夏草屋の若旦那だ。
「透太さん」
 私たちの前まで来て足を止め、上がった息を整えている。
「桃ちゃん、お稽古お疲れ様。終わったよな?」
「はい」
「じゃあ、椿様。店にお客が来てるんで」
「客? 俺に?」
「山田様が」
「……あの野郎か」
 椿様は舌打ちして、立ち上がった。
「すみません、椿様をお引き留めして」
 桃ちゃんも立ち上がる。
 申し訳なさそうに、若旦那に頭を下げて。
 ……桃ちゃんの意識は、完全に逸れたな。
「花井屋まではお前が送っていけよ。俺は店に戻るから」
 そう言って、椿様は夏草屋の方へ。
「それでいいかい?」
「はい」
 若旦那がそう聞いて、桃ちゃんも頷く。
「またね、かのちゃん」
「またね」
「……危ないことはしないでね」
 ははは……
「気をつけるよ」
 できるだけ、ね。



 そんな風に桃ちゃんたちと別れた日の夜。
 私は、和塁藩の若君を尾行していた。
 動きがあったのだ。
 和塁藩の若君は町で好き放題している。闇討ち犯人を捜しているとか言っても、慇懃無
礼で、ホント好き放題しているって方がしっくりくる。
 そんな和塁藩の若君にこっそりくっついて様子を窺っていたところ、手の者らしい侍が
報告にきて。どうやら人を使って椿藩の若君の行方を調べさせていたらしい。
 そして、そのうちの一人がその行方を掴んだらしかった。
 それで和塁藩の若君は、お共の藩士を三人連れて動き出した。
 もちろん、椿藩の若君のいるところに向かっているんだろう。
 人気のない、お寺の境内に入っていって――
「椿殿、お久しぶり」
 和塁の若君は、そこにいた二人に声をかけた。
「――来ると思ってたぜ」
 そこにいたのは……
 昼間にも会った椿様と、若侍が一人。
 え?
 あれ?
 若侍の方が、椿藩の若君?
 椿様、やっぱり椿藩の縁者だったわけ?
「こ、これは」
 若侍が慌てている。
「馬鹿、お前がつけられたんだ」
 椿様がいつもの様子で、嘲うように言う。それで若侍の方は青ざめながらも、状況を飲
み込んだようだった。
「探してたんだよ、ずっと」
「闇討ち犯人の濡れ衣を着せるためにか?」
「なに言ってるんだい、濡れ衣なんかじゃないさ。本当に君がやったんだろう?」
「生憎と、俺は道場に恨みもなけりゃ興味もなくてな。闇討ちする理由なんかねーんだ
よ」
「そうなのかい? 襲われたのは、僕や君と腕を競っていた者ばかりだよ」
「良かったな、それじゃ今はお前が総代候補だろ」
 和塁の若君と椿様の舌鋒鋭い応酬に、息を呑んで耳を傾ける。
 これは、やっぱり……
「……急にいなくなったのはどうしてだい」
「普通の生活より面白いもんを見つけたからさ」
「……勝ち逃げは許さないよ」
 和塁の若君が、刀の柄に手をかけた。
「総代を狙う君は同門の仲間を次々と闇討ちして、最後に僕に返り討ちにあうんだ!」
 叫びと共に刀を抜き放ち、椿様に袈裟懸けに斬りつけた……!
 腰を浮かそうとした私は。
「出て来んじゃねーぞ!」
 和塁の若君の刃を白刃で弾き返しながら、椿様が言った。
 それで、腰を浮かしかけた状態で止まる。
 私が隠れてることにいつ気づいたのか……椿様、気がついてるんだよね?
 和塁のおつきの藩士も、椿様と一緒にいた若侍も、次々に抜刀して乱戦になる。
 こんなところに出て行ったら、私なんかひとたまりもない。
 だから息を殺して、そっともう一度きちんと身を隠した。
 剣戟が響き、砂煙が舞う。
 次々と――
 次々と、和塁の侍たちが倒れていった。
 呻いてるから、死んではいないみたいだけど。
「退けよ」
 あっという間に、和塁の側は若君一人になった。
「……くっ。あんなに……練習したのに」
「人斬りをか?」
「…………」
「和塁藩の行く末になんざ興味はないがな。ここでお前の息の根を止めたら、俺も面倒な
ことになる。もう一度しか言わねぇぞ……退け」
 椿様と一緒にいたもう一人の若侍は、もう手隙で様子を見てる状態だ。不利を悟ったか、
和塁の若君は後ろに飛び退いた。
「無抵抗の町人斬っても腕はあがらねぇぞ」
「…… なんのことだ」
「しらばっくれるならいいさ。とっとと行けよ。――言っとくが、次があったら手加減は
しねぇからな」
 和塁の若君は悔しげに顔を歪め、背中を向けて走り去った。
「ほら、てめぇらもだ。根性で立ち上がれ。ほとんど峰打ちだ、致命傷はねぇはずだぞ」
 椿様は転がってる和塁の藩士たちに容赦なく蹴りを入れ、藩士たちはお互いを支えるよ
うにして去っていった。
 それから。
「……よし。もう出てきていいぜ」
 ……呼ばれてるのは、私だ。
 がさがさと茂みから出て行くと、椿様は苦笑を浮かべていた。
「だから、首突っ込むなって言ったろ」
「いやあ……こんな話だとは思わなくって」
 ははは、と笑ってみせる。
「こっちの人は?」
 もう一人の若侍を指さす。
「これは山田丈之進」
 山田……ああ、夏草屋に来てた客。
 そうすると、やっぱ、椿様がそうか。
 なんで大名家の嫡子が、商家の用心棒なんかやってるかな。
 考えこんでると、椿様が屈んで私を覗き込んでいた。
「これは書くなよ」
「えー! 椿様も結局侍なんだ、立場が大事っていう」
「じゃねーよ。書いたら、お前が狙われるだろ」
 ……そうかもしれないけど。
「でも、商売なんだから、書かなきゃおまんまの食い上げってやつなんだけど」
「飯ぐらい食わせてやるから」
「……うーん」
 しょうがないかな。
 狙われたら、やっぱりひとたまりもないし。
 瓦版には書かないで、大目付のお屋敷に投げ文でもするか……
「わかった。じゃあ、手始めに今日の夕飯おごって。まだ食べてないんだよね」
「お前、現金だな」
 そうして並んで、歩き始める。
「あ、あの」
 それを、山田様が追いかけてきた。
「お前は帰れ」
 しっしっと椿様が手で追い払う仕草をする。
「え、で、でも」
「今度、一度戻るから。今日は帰れ」
「そんな……」
 結局途方に暮れたような山田様を置いてけぼりにして、私たちは近くの一膳飯屋に向か
った。
 訊くべきか、訊かざるべきか、私はそんなことを考えながら。
 よく考えたら、なんで用心棒なんか――の答えは和塁の若君との話の際に言ってるんだ
よね。
 後は、元の生活より楽しいことって何? ってことだけど。
 それはなんか、訊くのは野暮な気がした。
 顔を見上げてたら、椿様が気がついたように覗き込んできた。
「なんだよ?」
「なんでもない」
 私は笑って首を振る。
 ――世の中には、楽しいことが溢れてるんだもん。何が楽しいか訊くのは野暮だよね。


「いい加減お戻りくださいよ、若」
「嫌だね」
「市井にいるのは危ないですよ……先日の若はかっこよかったですけど……!」
「……お前変わってねーな」
「何がですか」
「……いやいい」
「ところでですね。御家老の苗床様に養女を取らないかって言ったってのは、どういう話
なんです?」
「ああ、聞いたのか。もうちょっと先だけどな」
「先?」
「まだだな。準備できたら連れてくから」
「はあ……」

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