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 日本のバレンタインは、女から男にチョコレートやプレゼントを贈る日だ。
 そうすると、苗床が俺にチョコをくれるかどうかを考えてしまうが。
 どうしても、苗床が素直にチョコレートをくれるところが想像できない。
 付き合ってるんだから寄こせよと要求してやっと貰うんじゃ、価値が一段下がるよな。
 数日考えた末に、俺には発想の転換が訪れた。

 逆チョコでいーんじゃね?

 外国じゃ男から女で普通だってのは前から聞いてたが。興味なかったから知らなかった
が、調べてみたら、そろそろ日本でも珍しいってほどじゃないらしい。
 俺から苗床にチョコレートを贈る。
 他にもこう、バレンタインらしくデートとか……予定空けさせとかないといけねーな。
空けとけって言っといたら、あいつも考えるかもしんねーか。それでダメでも、俺からっ
てので、それでバレンタインて日としてはいいよな。
 ……いいよな。
 ちょっとむなしさがあるような気がするのには、目を瞑れ。
 苗床に普通を期待するのは、そもそも間違ってる。
「苗床、14日の放課後は空けとけよ」
「え?」
「出掛けるから。花井とかと約束入れるなよ」
「わかった。14日ね」
 俺たちは、あんまり頻繁に外を出歩くようなデートを繰り返してない。テスト前には勉
強があるし、休みには苗床が実家に帰ってることも多い。
 放課後は学校で苗床が色々首を突っ込んで、俺が苗床を粒麗荘まで送って、そして時々
は俺が粒麗荘に寄って……そんな、約束に支配されてない日々を過ごしていることが多い
からか、苗床は決まった日への約束に少しびっくりしたのかもしれない。
 でも14日って聞いて、ピンと来ないほどのボケだとは……
 ……あり得ねーとは言えねぇところが困ったもんだぜ……



 バレンタイン当日。
 案の定というか、苗床がチョコを出して来る気配はないままに、放課後になった。
 ここ数日――多分俺が予定を空けておくように言ってから、なんだか少し苗床は不機嫌
だ。
「どうするの、椿君」
「とりあえず、粒麗荘に自転車置いてからな。制服じゃマズイから、着替えろよ」
 一回粒麗荘に寄って行くことを告げると、苗床はただ頷いた。
「俺も着替えるから」
「その鞄」
 俺が着替えの入った鞄を肩に引っかけると、もの問いた気に苗床が鞄を見た。
「着替えだ」
「チョコ専用なのかと思ってた」
「バッカじゃねーの、一個も受け取ってなかったろうがよ」
「勝手に置いてってたのもあるじゃん」
 苗床の声が、ちょっと咎めるようなものの気がして、俺は密かに嬉しくなった。
 気にしてたのか? 一応。
「それは明日どうにかする。今日は持って帰るのも処分するのも無理だ」
 そして、それが本音だ。
 優先するべきは、押しつけられたチョコじゃねーし。
 粒麗荘に着いて、それぞれ着替えて、そして。
 ……まだ俺は、逆チョコを渡していない。
 朝から持ってはいたんだが、いざとなると渡すタイミングが掴めなかった。
 逆に断っても置いていく女子を見て、女は図太いって実感したぜ。
 着替えて……鞄の中からチョコの包みを出して。
 今か、後でかを考えた。
 ――やっぱり今か。
 手早く包みを開けて、苗床を呼んだ。
 苗床から呼ばれたのは、同時だった。
「あのさ、椿君……」
「苗床」
「え」
 半開きの口に、チョコの粒を突っ込んだ。
 苗床は呆然として、口の中のチョコを咀嚼してから。
「なんで!?」
 叫んだ。
「逆チョコってんだろ。男から女だと」
「逆……」
「返品不可だからな」
「……食べちゃったもん、返せないよ。それより……ずるい」
 ずるい? 何が?
「バレンタインは本当は女からじゃん! デートの予定も勝手に決めてさ!」
 ……こいつ、なんか考えてたのか?
 いやでも、チョコくれなかったじゃねーか。
「お前、チョコくれる気あったのか?」
 後ろ手にしてた手を、苗床は前に出した。
 チョコだろうと思われるラッピングが、その手にある。
「タイミングが掴めなくて」
 ……くれる気、あったのか。
 タイミングが掴めないことは、俺にも今なら十分わかる。
 俺は苗床の手から、素早く包みを取り上げた。再び隠される前に。
「あっ、ちょっとまっ……」
「待つか、馬鹿」
 見たからには、これは俺のだ。
 急いで開けて、一つ抓んで口に放り込む。
「返品不可だ。……手作りか、これ」
「だから待ってって」
 ちょっといびつなトリュフだったが、味はちゃんとチョコだ。チョコだから、今日はそ
れでいい日だ。
「……サンキュ、美味い」
 赤く照れた顔を背けて、苗床はぎりぎり聞こえるような小さな声で「どういたしまし
て」と不器用に答えた。

 もう出掛けなくても良いような、このままこの部屋で……とも思ったけれど。
 俺たちは、ぎりぎり陽が暮れる前に粒麗荘を出た。
「そう言えば、どこ行くの?」
 行き先は、苗床には言ってなかった。
 俺は先に話をしていれば、まず苗床の抵抗にあって実現できないプランを――囁く。

 ――ホテル行こーぜ。

 俺は路上で叫びかけた苗床の口を塞いで、幸せな気分で夕陽に伸びる影を見た。

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