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 苗床かのこさんは、私、水天宮鞠音にとっては恩人みたいなものだ。感謝しているとい
うと、少し違うかもしれない。でも恋に絶望した時に道を間違えることなく今に至るのは、
間違いなく苗床さんのおかげだ。
 ……だから、友達だと思ってなかったとか言ったことについては忘れてもいいわ。
 私、結構根に持つタイプだけどね。
 転校していって連絡の取れなくなった苗床さんと中三の最後に再会して、その時に連絡
先を交換してから、細々と苗床さんとは連絡を取り合っている。
 この、『細々と』っていうところがもう、苗床さんらしいと言うか、女子高生らしくな
いって言うか。
 苗床さんはメール無精すぎる。
 なかなか返事は返って来ないし、返ってきても短い。
 でも一応ちゃんと返ってくる。
 そして返って来るメールの中には、気になるものがあった。
 苗床さんからのメールには『桃ちゃん』と『椿君』が頻出する。『桃ちゃん』が女子で、
『椿君』が男子なのは、呼び方と話の中身から見当が付いた。友達だと確認しあわないと
友達だと思わないというコミュニケーション不全の苗床さんがこれだけ入れこむんだから、
そりゃあ仲がいいんだろうと思う。
 で、突っ込んでみたら『鞠音は知らない人だから、あんまり話題にしてたつもりはなか
った』とか言うし。
 いったいどれだけ無意識なのよ。
 それともあれなの? あれでも抑えめだったの? だとしたら、知ってる人にはどれだ
けの勢いで語ってるのやら。
 そう思ったら、俄然興味が湧いた。
 同級生の女子にべったりになるのも、同級生の男子と仲良しになるのも、私の知る苗床
さんらしくない。何がそんなに彼女を変えたのか、どんな風に変えたのか、会って確かめ
たくなった。

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おはよう
 ねえ、今度会わない?
 良かったら、その桃ちゃんと椿君も一緒に。
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 なんて、さりげなく直接会う約束を取り付けつつ、事前情報を集めてみる。

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re:おはよう
 いいけど、鞠音ももしかして椿君知ってるの?
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 タイトルくらい直しなさいよ。
 そしてなんで、私がその『椿君』を知ってると思うのよ。
 せめて、どうしてそう思ったのか書きなさいよ。

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苗床さんの彼氏なの?
 椿君って人。
 私は全然知らないけど、有名な人なの?
 スポーツとか、何かやってる人?
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 苗床さんが恋をして、周りが見えなくなっている……なんてことになってたら、青天の
霹靂ね。
 ないとは思ったけれど、もしかして……と思いながら、探りを入れることにした。

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違うよ!
 椿君は友達。
 でも椿君はほんとに有名だから、知ってても不思議じゃないかなと思って。
 スポーツはなんでもできるみたいだけど、これっていうのはやってない。
 中学の時はバスケ部の助っ人で練習試合の遠征に参加してたりしたことあったけど、部
活には入ってなかったよ。
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 今度はちゃんとタイトル変えてきたわね。
 誤解されるのが、そんなに嫌なような相手なのかしら。
 でも、有名なの?
 メールを見ながら首を傾げた。
 苗床さんが通ってる高校は宝ノ谷高校だったはず。
 ちょっと遠いけど、誰か知ってる人はいないかと訊いてみたところ……本当に知ってる
人がいてびっくりした。
 宝ノ谷の椿君は、学校外にファンクラブがあるようなイケメンらしい。
 本当に同一人物なのか。あの苗床さんの友達で、イケメン?
 ちょっと繋がらないわね。

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会いましょうよ
 椿君のことは知らないわ。
 苗床さんが相当好きそうだったから興味はあったけど、一緒じゃなくてもいいわよ。
 今度の日曜とか、どう?
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 苗床さんの友達が本当にファンクラブのある『椿君』だったら顔を見てみたい気もした
けど、そんなことはないだろうって思ったから、どっちでもいいような言い方で返してみ
た。
 椿君って、二人いるのかもしれない。イケメンの他にも、スポーツのできる椿君が。

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re:会いましょうよ
 なんか誤解してるみたいだけど、本当に友達だってば!
 好きだとかありえないよ、とんでもない俺様だもん。
 人のこと、面白いオモチャだと思ってそうだし。人で遊ばないで欲しいよ。
 でも、すごい友達思いの良いヤツなんだよね。
 まあいいや、日曜日ね。桃ちゃんと椿君には聞いてみる。
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 俺様で、苗床さんで遊ぶけど、友達思いの良い人なの?
 なんか矛盾してない? それ。
 ていうか、苗床さんで遊ぶってどういうこと?
 からかわれてムキになるようなタイプじゃなかったでしょうに。
 そんなことを考えて、返信を迷っていたら、先に苗床さんからメールがきた。

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re:会いましょうよ
 桃ちゃんは補習で駄目みたい。
 椿君は行くって言ってる。
 椿君だけ一緒でいいかな。
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 桃ちゃんって子にも最初は興味があったけど、ここのところのメールのやりとりですっ
かり謎の『椿君』興味が偏っていたから、これは都合のいい条件だった。
 他の女の子抜きで、苗床さんと椿君が二人でいるところが見てみたい。
 私がいたらいつも通りってわけにはいかないかもしれないけど。

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いいわよ
 じゃあ日曜にね。
 待ち合わせはどうする?
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 どこで会うか希望を聞いたら、地元じゃない方がいいって言うから、苗床さんたちにう
ちの方へ来てもらうことにした。
 椿君のファンの子に苗床さんが嫌がらせを受けないように、椿君には他に彼女がいるっ
てことになってるらしい。
 だからその子抜きで、他の女の子……つまり私と会うのは、ちょっとまずいかもってい
うことだった。
 苗床さんが彼女だと思われて、嫌がらせを受けないように?
 異性の友達で、そこまでして一緒にいるの?

 ……そして本当に、イケメンの椿君なんだろうかとほのかな疑いを抱きつつ、当日。

「鞠音」
 私の前に苗床さんと一緒に現れたのは、やっぱりイケメンだった。
 これなら校外にファンクラブがあるのは、ちょっと納得できる。
 でも苗床さんと並んでるのは、ちょっと納得できない。
 彼女じゃない、と言われた方が確かに納得できる。
 でも嫌がらせを受けないように守るって、そりゃ彼女にすることよね。
 ぐるぐると考えながらも、表の顔を取り繕うのは得意なので、そんなことはおくびにも
出さずに苗床さんに応えた。
「苗床さん、久しぶりね」
「久しぶり」
 見た目チェック。
 私服だからかしら、それなりに可愛いんじゃない?
 ミニは足細いから結構似合うわね。
眼鏡も中学時代よりマシかしら。もっと可愛いデザインに替えれば、もうちょっと良くな
るでしょうに。
 総合点。まあまあ?
 ……やっぱりこれは、男が出来て変わったと見るべきなのかしら。
「……はじめまして」
「はじめまして」
 イケメン……椿君ににっこりと笑顔を作って挨拶すると、椿君は興味なさそうな顔で、
でもきちんと挨拶は返してきた。
「椿君ね。お噂はかねがね」
「へぇ、噂?」
 へえとか言ってる割には驚いた顔じゃないわね。苗床さんが話してるって聞いてきたの
かしら。
「あれ、やっぱり椿君のこと知ってたの? 鞠音」
「噂って、あなたからよ」
「え」
「あれだけメールで椿君椿君って言ってれば」
 これは嘘じゃないわよ。
「へー……そんなに?」
 あ、椿君が嬉しそう。これはやっぱり付き合ってるってことよね。
 なんかバランスは良くないけど、蓼食う虫も好き好きって言うし。
「それはもうものすごく」
 ……頻度でいくと『桃ちゃん』の方が上だけど。
 苗床さんは「えー」って顔をしてるけど、気にしないことにして、移動を促した。
「ファミレスでいいかしら」
「いいよ」
 そうして、ファミレスに移動して。
 短時間の間に私が知ったことは。

 高校生の苗床さんは、躓くものは何もないところで転びかけて椿君に抱き留めてもらう
ドジっ娘属性と、クリームを口の横につけて「ついてるぞ」なんて言われて椿君に拭いて
もらうというバカップル属性を獲得していた……

 ……変わりすぎ。
 変わりすぎでしょ!?
 いくら男ができたって、あの苗床さんがこうなるの!?
 椿君がお手洗いに行くので席を外した隙を突いて、私は声を潜めて訊いた。
「椿君、彼氏なのよね!?」
 違うとは言わせない。
「違うってば」
「だって抱き留めたりとか」
「あ、さっきの? 椿君心配性なんだよ。平気なのに、目が離せないとか言って」
「口拭いてもらったりとか」
「それもさ、子ども扱いしてさ」
 お母さんみたいだよね……って、違うでしょ! そうじゃないでしょう!?
 当然男子のお手洗いなんか長くないから椿君はすぐ戻って来て、話はそこまでになった。

 お開きになるまでのそれほど長くはない時間を語って出た結論は、苗床さんは無自覚らしい……ということ。
 天然物よ、天然物。
 私の知る中学時代の苗床さんが、偽物だった……
 ううん、人は変わるものなんだわ。
 本当に付き合ってる気はないみたいだけど、椿君の方はデレデレだし、見てわからない
方がおかしいわ。宝ノ谷の生徒って、頭良すぎて常識欠けてるんじゃないのかしら。
 そして天然物のドジっ娘属性とバカップル属性は、そりゃあもう独り身には目の毒だっ
た……

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今日はありがとう
 久しぶりで、懐かしかった。
 今度、また。
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 社交辞令を言えるようになった辺りは、進歩よね。
 でも、また……?
 またあの無自覚バカップルを見るのは、ちょっと勘弁だわ。

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どういたしまして
 今度は女の子だけにしましょ。
 次は『桃ちゃん』とね。
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 ま、女の子同士なら、あんなバカップルじゃないものね。
 そう思って送信ボタンを押した。
 ……その予測が裏切られたのは、わずか一週間後のことだった。

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