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 ――昔々、あるところに、呪いの魔女がおりました。

「王子の花嫁選び、か」
 かのこは丘の上から、椿城を眺めた。
 城は山を背にし、その岩肌を抉るように聳えている。
 あれは近年に隣国を併呑した、今を時めく王国の城。
 数年前には小国と言っても良かったその国は隣国に攻め入られ、そこで歴史を閉じるだ
ろうと周辺諸国には思われていた。その結果をひっくり返したのは、王子一人の手腕だっ
たと言う。
 兵を率いれば絶対のカリスマを発揮する将となり、外交の席に立てばその言葉は黒をも
白と丸め込む。
 絶世の美男子にして、賢者も讃える明晰なる頭脳を持ち、剣を持たせれば……
「嘘くさ」
 椿城の実質的な主、初流王子の評判を記した羊皮紙を丸めて、かのこは懐にしまう。
 美辞麗句ばかりの評判を頭から鵜呑みにする程、魔女と呼ばれるかのこは愚かではない。
すべては己の目で見なくては。それが、かのこの主義であった。
 かのこは魔女である。
 それは周りが魔女と呼ぶからであって、悪魔や魔物と契約しているわけではない。囁く
とその呪いの言葉に従ってしまうという評判が、かのこを魔女にした。
 からくりは単純だ。かのこは人の抱える秘密を知り、気に入らぬ不正をする者にそれを
囁き、思い通りにしただけだ。
 けれど何も知らぬ者からすれば意味不明のそれは呪いの言葉で、多くを語らぬ操られる
者は魔女に呪われた者に見える。呪われたとしておく方が、秘密を暴かれるよりも従う者
は生きやすい。かのこも気が済めば秘密を無闇に暴き立てることはしなかったから、いつ
しか呪いを操る魔女になった。
 それで変わったことなどないと、かのこは思う。
 その前から、かのこは各地を旅し、人を見て、人に紛れて、たくさんの秘密を覗いてき
た。魔女となった後にも、何一つ変わらぬ。
 今日も。
 目的地は椿城だ。
 あの城では今日から三日、世継ぎ王子の花嫁選びが行われる。急に隆盛した国の、評判
の王子。評判が誇張だったとしても国が隆盛したことは事実で、王子が顔だけのただの御
輿であろうとも、御輿を担いだ有能な武官なり文官なりがいようことは間違いない。
 つまり、これから目を離すことはできない何かを持った国なのだ。周辺諸国も重々わか
っていて、独身の美しい姫君たちを、この三日間のために送り込んでいるという。
「わっかんないのは、庶民も参加自由ってーとこだろうかね」
 三日間の城内は、女のみ無礼講であるらしい。
 我こそはと思う娘は名乗り出よという。
 評判の王子に見初められれば玉の輿と、庶民の娘たちも着飾って続々と城に押しかけて
いるらしい。
 また、ただ評判の王子を一目見られればという野次馬も多くいる。
 それは、かのこもそうだった。
 かのこの興味はどちらかと言えば評判の王子よりも、それに群がる娘たちだが。
 一国の王女と肩を並べて、村で評判の器量良し、町の踊り子、酒場女が争おうと言うの
だ。阿鼻叫喚の予想は難くない。
 それを見逃してなるものか。
「何考えてるかはわかんないけど、面白い見せ物を企画してくれたことには感謝するね」
 かのこは人の悪い笑みを浮かべて、旅装束の外套を翻した。



「殿下、杜若国の姫君が舞踏会の前に面会を求めておりますが」
「適当にあしらっとけ」
 初流王子は冷淡に告げた。
 かのこも性別は女なので、女ならば無礼講の城に入ることは容易かった。中に入ると、
城の裏手に潜り込んだ。いわゆる王族が私生活を送る、後宮と言われる場所だ。普通は客
でも、ここまでは入り込まぬ。でもそんな禁忌を無視してきたから、かのこは呪いを操る
魔女の称号を得たのだとも言える。
 いつものように人目をかいくぐりながらうろうろと、かのこは目的地を求めた。
 目的地とは、初流王子の姿、あるいはその部屋。
 経験則からそれらしいと思うところに程なく見当をつけたが、正面から近づくことは流
石にできなかった。それで外に出て、ベランダにとりつく。
 表に人が多くて、警備がそちらに割かれているから、どうにか運良く咎められることな
くよじ登って中を覗いた。
 そこには――
 へえ、と声を出さずにかのこは感嘆した。
 美形だという評判は、誇張ではなかったらしい。
 殿下と呼ばれた少年から青年への過渡期にある黒髪の男性は、確かにかなりのカリスマ
を感じさせた。顔は極上、体つきも立派な美丈夫だ。それだけで、頭が相当困った人でな
ければ、担ぐ御輿には十分だろう。
 そう思いながら、張り出し窓のカーテンの影に隠れて覗いていると。
 ふと、王子がかのこのいる方を振り返った。
 どきりとする。
 初流王子は踵を返し、大股で迷いなくまっすぐにかのこの方に歩いて来る。
 まずい、ばれた、と思って身を退くのも間に合わなかった。
「そんなとこに隠れてると、暗殺者だと思われて斬られても知らねぇぞ」
 王子はひょいとカーテンを捲って、おののくかのこに、まるで以前からの知り合いに告
げるように言った。



「じゃあ、まずはどこの誰だか言ってもらおうか」
「名前はかのこ。根無し草なんで、どこのってのは難しい」
「かのこ」
 かのこが名を名乗ると、初流王子は僅かに考えこんだ。
 かのこはその隙に、きょろきょろと室内を見回した。
 上品な調度は手入れがされているから伝統の匂いを感じさせるが、言い方を変えれば古
くさい。無闇に贅沢しているわけではないんだな、と思う。
 目の前には、やっぱり年季の入った上品な白磁器に注がれたお茶。尋問にしては優雅だ。
「そんな名前の、呪いをかけるっていう魔女の話を聞いたことがあるな」
「それ、私だ」
「俺に呪いをかけに来たのか?」
「とりあえず、違う」
 かのこは曖昧な否定をした。
「とりあえず?」
「とりあえず。ここに来た理由の一つは、呪いとは正反対だし。どこの国とは言わないけ
ど、あんたのお后になりたいお姫様がいてね、自分が選ばれたら祝福してほしいって依頼
があったから」
「呪いの魔女に祝福か? 豪気だな」
「お姫様は多分、私の評判が呪いの魔女だとは知らないんだと思うよ。一応、祝福なんか
できない、やっても意味ないって言ったんだけどさ、聞かなくって。ありゃあね、臣下の
誰かが嘘を吹き込んだんじゃないかな。臣下の思惑は――」
 かのこはちらりと、初流王子の表情を窺う。
 王子はクールな顔の中に、少し皮肉な笑みを浮かべている。
「多分、ご想像の通りかな。私があんたを呪えばいいと思ってるんだろうと思うよ。でも
私は依頼で人を呪うとかしないから、とりあえず送り込むだけ送り込んで、成り行き任せ
っていう消極的なやり方になったんじゃない?」
「なるほど。で、俺を呪うのか?」
「評判は面倒だから否定してないけど、私に人を呪う技術なんかないよ」
「へえ?」
 その時、初めて明らかに初流王子は面白そうな表情を見せた。
 かのこは、ちょっと気に入らない。
 自分は他人を観察して面白がるけれど、自分を面白がられるのは好きじゃない。
 それでも、自分のことは正確に説明した。呪いの魔女の評判を取った成り行きの話だ。
「なるほどな。色々と秘密事には詳しそうだが、祝福も出来ない、呪詛も出来ない、なら
何をしに来たんだ? ただ来ただけか? それとも……」
 初流王子は艶然と笑む。
「お前も俺の女になりたいのか?」
 俺の女とか王子が言うかな、と口の端でかのこは嘲う。
 そう言えば美形だ優秀だって評判は聞いたが、性状についての話はほとんど聞かなかっ
たと思い出す。ガラが良くないってことは、対外的には伏せられているに違いない。
「ごめんだね、王子の嫁なんて面倒臭い」
「へえ」
「でも王子の嫁バトルロワイヤルは是非見たい。私は人間観察が趣味でさ。誰が企画した
んだかしらないけど、面白いことをするじゃん」
「……面白いだろ?」
 はっ、と初流王子も嘲う。
 嫁選びは本意でないらしい。
「本人を置いてけぼりで、嫁選びとか笑っちまうぜ。どこだったかの王女サマたちとやら
が勝手に乗り込んできて城で鉢合わせして、取っ組み合い始めてな」
「へー」
 かのこは初流王子の話に瞳を輝かせて、身を乗り出した。
「挙げ句の果てに誰が俺の后に相応しいのか、なりたい女を一同に集めて俺に選ばせよう
って話になったらしいぜ」
「へー……それって、あんたの意見は?」
「未だもって、聞かれた憶えはねーな。多分、父王も聞かれてない」
「すごいね、国の主権が思いっきり蹂躙されてない?」
「この国は元々小さい国なんだよ。たまたま前回の戦争では勝ったってだけで、周り中の
国から袋叩きにあったら滅びるさ。ま、よほどの大国でなければ、どこもそうだけどな」
 だから、そうならないように泳ぎ渡っていかねばならないのだと。
「そりゃそうだね」
 面白い企画だと思ってわくわくしていたけれど、舞台裏を覗き見たら、かのこは少し気
持ちが冷めてしまった気がした。
 急に周りから警戒されたり持ち上げられたりして、でもそれでも落ち着いてやり過ごさ
なくてはならない、先の読めない伝統だけの小国の存続の悲哀がそこには横たわっている。
「気の毒だとは思うけど、どうしようもないね。これだけ大騒ぎで、選ばないってわけに
もいかないでしょ。ま、私はひっそり嫁バトルロワイヤルを楽しませてもらうよ。良い人
がいるといいね」
 せっかくなので出されたお茶を飲み干して、かのこは立ち上がろうとした。
「もう奥に忍び込んだりはしないよ。邪魔にならないところで見学させてもらうからさ、
もう行ってもいいかな……あ」
 その立ち上がる動作で軽く下げた頭を、初流王子に伸ばした手でがっちりと掴まれて、
かのこは中腰で止まる。
「勝手にどっか行こうとしてんじゃねーよ」
「あー……まだ疑われてる?」
 暗殺者だと思われても、密偵だと思われても、おかしくはないところで見つかったのだ
から疑われるのは仕方がないと、かのこも思ってはいた。だから余計なことまで正直に喋
ったのである。
「暗殺を生業にする者だとは最初から思っちゃいねーから、安心しろ」
「え」
「プロにしちゃあ、気配を消すのが下手だったからな」
「出来るだけ気配を消して近づいて、一気に仕留めろっていう親父の教えだったっての
に! ……身についてないのか」
「なんだ、本当に暗殺が家業だったのか? 良かったな、跡継がなくて。お前じゃ、あっ
という間に捕まって首を刎ねられてるぜ」
「……ところで、離しちゃくれないんで?」
「ああ」
 まだかのこの頭は掴まれっ放しだ。
 かのこの頭を掴んだ、そのままの形で初流王子は胡散臭いほど艶やかに微笑んで。
「お前、嫁バトルロワイヤル、良い位置で見たくないか?」
「え、いや」
「特等席を用意してやるぜ」
 ニヤリと王子は表情を企む笑みに変え、高らかに控えの侍女に命じた。
「誰か! こいつを脱がして洗って着飾らせろ!」



                     〜〜続く〜〜

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