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 バレンタインディ。
 椿君の機嫌の悪い日。
 当然と言えば当然のことながら、朝から椿君の機嫌は最低だった。
「苗床」
 黒いオーラをまき散らして、椿君が私を後ろの席から呼ぶ。
「何?」
「今日の昼は」
「部室だね」
 今日の昼ご飯を教室とか食堂とかで食べるなんて苦行を、椿君に課す気はないよ。ま、
部室にだって女の子は容赦なく押しかけて来るかもしれないけど、中からつっかい棒でも
しておけば入ってくることはできない。
 椿君の機嫌の悪さをものともしない子はゼロではなくて、休み時間を過ぎる度に椿君の
機嫌は悪くなっていった。
 
 そして昼休み。
 女の子の群れを蹴散らして、椿君と一緒に部室に逃げ込んだ。
「……勘弁してほしいぜ」
 ふかーい溜息を吐いて、椿君は朝のうちに買っておいたパンとイチゴオレを袋から出し
た。イチゴオレはぬるくなってそうだけど、昼に買いに行く余裕がないってことは、あら
かじめ予想できてたんだろう。
 私もおにぎりを持ってきた鞄から出して、かじった。
 椿君は腹立ち紛れにかばくばくとパンを早食いして、イチゴオレを飲んでいる。
「もう食べ終わったの?」
「おー」
 私は鞄の中から、もう一つ包みを出した。
「椿君、ちょっとこっち見て」
「なんだよ……」
 私の方を向いた椿君の、返事をしかけた口に、私は包みから出したイチゴ味の一口チョ
コをねじ込んだ。
 びっくりした目で、椿君が私を見ている。
「……苗床、これ」
「椿君、別に甘いものは嫌いじゃないよね」
 イチゴオレの甘ったるいのが好きなんだしさ。
「受け取らないのは面倒臭いことになるからだろうし。なら、面倒臭くないチョコならい
いわけじゃん?」
 椿君の返事がない。
 もしかして、予想を裏切ってチョコ嫌いだったんだろうか。好きそうなイチゴ味にした
んだけどな。
「もしかしてマジでチョコ嫌いだった?」
「…………」
 ヤバイ、マジで返事がない。
「……もしかして私からチョコとかキモかった?」
 しまった、その可能性はあるな。世の中義理チョコだの友チョコだのが蔓延ってるから
油断した。
「そんなこたねぇ。……これ、一個しかねーの?」
「ううん、袋で買ってきたからまだあるよ。ラッピングとかしてないけど」
「全部出せ」
 一つ残らず出せと椿君がすごい顔で言った。

 結局、昼休みのうちにイチゴチョコは一つを除いて、一袋すべて椿君の胃に収まった。
 何故か一つは持って帰るらしい。
 家で堪能するとか言ってる。
 ……椿君、本当に好きなんだな……
 イチゴ味。

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