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 なんだか椿君が変だと思った。
「ねえ。最後まで、声だけ聞かせる気?」
「消したいけど、手を離したら見えちまうだろ」
「ちらっとくらい見えたって大丈夫だよ」
 声でわかっちゃうんだから、見えないように目を塞ぐのに、どんな意味があるんだろう。
 やっぱり止められたのに見ようとしたから、怒ってるんだろうか。
 勉強しにきて椿君の部屋に初めて入って、パソコンがあったから、何が入っているのか
すごく見たいと思った。
 だって椿君ってディープな趣味が見えない人なんだもん。
 なんでもできて、なんでも知ってるけど、何か一つに深い興味を持つタイプじゃない。
きっと望めば何でも手に入るからなんだろうけど、何にでもあっさりしてて、こだわりが
見えない。
 椿君はいつでも余裕で、何か一つを一生懸命追いかけてる姿が想像できない。
 私の見えないところに、そんなものが隠れていないかなって、椿君の部屋にあるパソコ
ンを見た時思ったんだ。
 椿君って高校に入ってからはずっと一緒にいるのに、やっぱりまだまだわからない。
 見た目がいいからモテモテで、でも性格は俺様で、上から目線で、すぐ不機嫌になって。
かなり他人を冷たくあしらったりするのに、それもカッコイイとか言われて憧れの人みた
いになっちゃって、あんまり嫌われない。得なタイプだよね。でもきっと、嫌われても気
にしないんだろう。
 だけど。
 それって、椿君の外側でしかない。
 もう出会って一年になるのに、私には椿君の持ってるカードが見えてこない。
 他の人なら一週間、長くても一ヶ月もあれば、その人を掴むことができると思うのに。
そりゃあ、それは私に見える範囲でしかないってことも、中学の終わりには学んだけれど。
 でも、椿君はただ同じ学校にいるってだけじゃないじゃん。
 友達なのに。
 友達だから、ヒミツなんか知らなくても良いのかもしれないけど。
 ヒミツがあることさえ悟らせてくれないのは、なんだか寂しい気もした。
 ……寂しいのは、友達だから?
 パソコンは便利道具であると同時に、外部記憶装置だ。
 脳みその外にある、記憶。
 よく使う人ほど、そこには人格や趣味が映し込まれている。
 成長記録っていうのも、期待してたのは嘘じゃない。この家に一台しかパソコンがない
なら別だけど、おそらくこれは親の使うサーバーと繋がっていて、サーバーにはそういう
のもあるかもしれないって思ったから。
 ……やっぱり、踏み込みすぎか。
 友達って難しい。
 友達だったら、その人の深いところは知らなくてもいいことなのかな。
 そして今。
 聞こえてくるのは女性の喘ぎ声。
 そういう本を読んだことはあるから、それがそうだというのはわかったけれど、実は初
めて聞いた。
 椿君も、こういうの見るんだなあ。
 本当に普通の男子高校生なんだ。
 これは別に変わったことじゃない。
 多分普通の、当たり前のことだ。
 ただちょっと、自分の中に引っかかるのは、出会って一年経って初めて椿君が普通の男
の子だっていうことを知ったこと。他にも高校に入学した後で、椿君の「普通の部分」を
知ったことってある。
 ――今まで、私、椿君の何を見てたんだろう?
「駄目だ」
 そして、その普通の向こうに椿君のヒミツがある。
 どうしても、それは見せてくれないらしい。
 アダルトなものだって声でわかるものを、どうしても見せたくない理由ってなんだろう。
 男優が椿君自身とか……ないか。
「女が見るもんじゃないっての? こういうのの声だけ聞かせ続けるって、なんかもっと
卑猥だよ」
 最初は本当に「なーんだ」と思ったんだけれど。
 でも、ちょっとむずむずしてきた。
 この声聞いてるの、なんか恥ずかしい。
 ……私も、こういう時にはこういう声を出すんだろうか。
 考えられない。
 どうしてこんな声出すんだろう。
 でも、どんなメディアでもこうなんだから、出ちゃうんだろうな……
「色々事情があるんだ。……嫌なら自分で耳塞いどけ」
 だから、その事情が知りたい。
 耳も塞ぎたいけど、もっとそれが知りたい。
「ときどき椿君ってわかんない。椿君が登場人物の話とかでテストされたら、サンカクと
バツだらけで酷い点数になりそうだ」
 それは嘘。
 椿君って、いつだってわからない。
 わかった気になってることもあるけど、ときどき本当はわかってないことを思い出すん
だ。
 だから、テストはきっと、全部バツだ。
「少しはわかれよ」
 椿君はそう言うけど、他の人ならわかるのに、椿君だけわからないんだよ。
 それって私が悪いのかな。
「わかんないんだもん。説明して」
 ああ。
 すごい恥ずかしいこと言ってるよね。
 説明を求めるって、見ただけじゃわからないって白状してるんだもん。
 それって、友達に言ってもいいことだろうか。
 ……怒ったかな。
「……いつか説明する」
 椿君の声には少し逡巡が感じられたけど、怒ってはいないようだった。
「いつかは言えるんだ?」
 いつか。
 今は聞けないけど、いつかは。
 それはいつだろう。
 何が条件なんだろう。
 私が、もっと椿君をわかったら、だろうか。
「多分……な」
 でも、いつかはそういう日が来ると、信じていいんだよね。
 その日が来たら、話してくれるんだよね。
「そっか……いつかか。楽しみにしとくよ」
 笑って? 照れながら?
 どんな顔で、椿君は話してくれるんだろう……?


 動画が終わったら、椿君は手を離してくれた。
 それから、やっと予定の通りに勉強を始めた。
 椿君との勉強は、桃ちゃんとかとするのと違って教えることはない。教えてもらうこと
もほとんどない。
 この先はわからないけど、今は基本的にレベルが同じだからだ。本当は、多分少し椿君
の方が頭が良い。勉強量は私の方が多いからだ。要領の良さなのか、IQの問題なのか、
同じだけ勉強したら、椿君の方が成績が高くなるだろうと思う。
 ……私に付き合わせて勉強させたら、椿君の成績が私を追い抜くだろうというのは、ち
ょっと複雑だ。成績は一人暮らしの条件だから、下げるわけにはいかない。
 だから、余計に頑張らないといけないんだけど。
 なんか、集中できない。
 クーラーは強めに効いていて、暑くはないはずなのに、なんだか暑いような気がする。
 ……さっきのむずむずが残ってるような気がする。
「どうした? 苗床」
 私が集中できてないことに気がついたのか、テーブルを挟んだ向かいで椿君が顔を上げ
た。
「なんかわかんないとこでもあるのか?」
「なんでもない。というか、良くわかんない」
「なんだそりゃ」
「良くわかんないけど、集中できないんだよね……」
「……休憩するか?」
 椿君が立ち上がった。
「甘いものでも持ってきてやる」
「ありがとう」
 まだ疲れるほどの長い時間、勉強してるわけじゃない気がしたけど。
 でもやっぱり疲れたのかな。
 部屋を出て行った椿君は、クッキーを持って戻ってきた。
 クッキーをテーブルに置いて。
「なんか音楽でも聴くか? 俺も大して持ってないけど」
 それから部屋の隅にあったCDボックスを開けて、中を探し始めた。
 音楽CDは、椿君の趣味のもの。
「何がある?」
 やっぱり中を知りたくなって、這うようにして椿君の横に並んだ。
 CDボックスの中を一緒に覗くには、ぺったり椿君にくっつかないといけなかった。
「へー……」
「……何か好きなもんある?」
「んーと」
 箱の中から自分の好きな物を探すより、箱の中の椿君の好きな物を確認することに夢中
で。
「奥の方、見えない」
 それで、椿君をぐいぐい押したら。
「苗床……」
 なんか、椿君が呆れたような溜息をついた。
「え」
 椿君が後ろに身体を引いたなと思ったら、ひょいと一回抱き上げられた。
 すぐ、すとんと着地したけど。
 気がついたら、椿君の足の間に座る形になっていた。
 椿君は真後ろにいて、私のおなかのところに腕を回している。
 そして片手で横に長いCDボックスを持ち上げて、椿君自身の立てた膝の上に置いた。
ちょうど私には見やすい位置になる。
「椿君?」
 ちょっと振り返るように、椿君の顔を見ると。
「こうすりゃ、一緒に見られるだろ」
 椿君は笑ってた。
 そうか、私に見やすいようにしてくれたんだね。
「うん、ありがとう」
 私はまたCDボックスの中の確認に戻る。
 椿君ってこういうの聴くんだなーとか思いながら、幾つも引っ張り出しては眺めていた。
 椿君も、私の後ろから覗き込んで。
「……どれがいい?」
 ちょうど私の耳の横で、囁くように声がした。
「ひゃんっ」
 ……びっくりした!
 耳に息がかかって、くすぐったいって言うか、なんて言うか、その。
 そして自分の出した声にもっとびっくりした……
 なんか、さっき聞いてた動画の声みたいだった……
「苗床?」
 うわ、喋らないで、囁かないで。
 その位置で喋られると、どうしても息を感じる。
「や、ちょ、ちょっと待って」
 そ、そうだ、選ばないと。
 ずっと休憩ってわけにはいかないし。
 ずっとその位置で囁かれたら、なんか……
 変になりそうだ。
 やっぱり、あんな声が出るんだ。
 私でも出るんだ。
 どうしても出ちゃうんだ……なんか超恥ずかしい!
「……ゆっくり選んでいいぜ」
 お願い、喋らないで……
 とは言えなくて、とにかくもう、慌てて目についたCDを選んだ。
「こ、これ!」
 振り返って、椿君の口を塞ぐように押しつける。
「これ? 意外にスタンダードだな」
 椿君は、なんだかちょっと残念そうにそれを受け取った。
 椿君がCDをかけに行ってる間に、急いでテーブルの教科書の前、自分の定位置に戻る。

 ――CDをセットして振り返った椿君が舌打ちしたような気がしたけど、気のせいだよ
ね、多分。

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