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「めんどくさー……」
「お前な」
 溜息をついた苗床の頭を、プログラムの小冊子で軽く叩く。
「お前が言うな。お前のせいだろうが」
 俺たちが『全国弁論大会、高校生の部』の会場控え室などという、誰がなんと言おうと
もとてつもなく似合わない場所にいる理由は、間違いなく苗床のせいだ。
 新聞部と放送部のどちらかが出るんだとか言う話で、部の規模からして本来放送部が出
るのが筋だった。
 だったんだが、部長が「一度くらい新聞部が出たいね」なんてぬかしたもんだから、苗
床のいつもの「思いつき」とやらで放送部から参加権利を掠め取る入れ知恵をして……
 で、放送部もこんなもんへの参加は面倒だったんじゃねーかと思うんだが、あっさりと
権利が新聞部に移ってきた。
「あれは罠だよ」
 俺が言うと、苗床は顔を顰めた。
「絶対、放送部も嫌だったんだって!」
「だろうよ。それが読めなかった、お前のせいだろ」
「だってだって! 一年が行くもんだなんて知らなかったんだもん!」
 知ってたら! と苗床がキレたように喚く。
 そう、弁論大会参加の権利が新聞部に移ってくるまで「一年が参加する慣例」だなんて
俺たちは知らなかった。で、新聞部にその権利が移った時点で、弁論大会の参加は俺と苗
床に自動決定したわけだった。
「僕はいけないけど、新聞部から出られて嬉しいよ」
 なんて言った部長に、ものすごく権利を譲りたかったが。
 結局、俺たちはここにいる。
 ……俺より似合わねぇ苗床もやるんだ、せめてそれを見て笑ってやろう。
 多分口から出任せは、俺の方が得意だろうしな。
「ところで宝高の順番はかなり先だよな。ずっと控え室にいるのか?」
 俺たちはまっすぐに控え室まで来てしまったが、順番が近くなるまでは会場の観覧席に
いてもいいことになっている。大体は二番手前位までは観覧席で他の参加者の演説を聴い
ているもののようだ。
 ということで一応、普通を気にする苗床に意向を聞いてみたわけだが。
「他のを聞いても、うんざりするか腹が立つかツッコミたくなるかの三択な気がするから、
ここにいる」
 賢明な回答だ。
 俺も同じになることは想像に難くないので、苗床に付き合うことにする。
「あー、もー、弁論大会とか自分が出るなんて考えらんない」
「俺だって、まさか自分が壇上で嘘八百並べ立てることになるとは思わなかった」
「……いや、嘘八百って言い切っちゃうのもどーかとと思うよ、椿君……」
「お前は少しは取り繕えよ。本音で喋ると審査員が泣くか怒るぜ? 富中の放送室ジャッ
クで転校した後にも叱られたの忘れんなよ」
「あれとこれとは違うっての!」
「本質は同じじゃね?」
 本当でも言えば良識ある大人は怒る話もある……が、どうもそういう地雷を時々苗床は
自覚なく踏み抜くよな。
 そんな話をしていると。
「あっれー! 椿?」
 どっかで聞いたような声がした。
「夏草」
「夏草君」
「苗床も。お前らも、これ出るの?」
 控え室の出入り口で頓狂な声を上げて、バタバタ走って来たのは夏草だった。
 夏草が弁論? と一瞬首を傾げかけたが、俺たちが壇上に立って熱く語るより遥かに合
っている、と思い直した。
「不本意ながら……って、そうか!」
 苗床は何か違う方向に考えが行ったのか、プログラムの小冊子をバラバラ捲り出した。
「いろんな高校から来てるんだから、もしや桃ちゃんも――!」
「なんや、あんたらも出るんか」
 苗床がどこの高校を探そうとしていたかはわかったが、探す手間を省いてくれる声が出
入り口からかかる。
「杜若」
 高校の制服を着た杜若が歩いて来る。
 苗床は床に手を突かんばかりのガックリオーラを出しながら、杜若に訊いた。
「……一人? 桃ちゃんは?」
「おらんで。アレなら『弁論とかはちょっと』とか言うて、辞退しよった」
 花井らしいと言えば、らしい。
 こういうのに出ても、自分で書いた原稿の漢字を読み間違えそうだしな……
「ちぇ。こんなとこで桃ちゃんと偶然! とかあれば、青春ぽかったのに」
「苗床、夏草と杜若に微妙に失礼なこと言ってんぜ」
 学校代表は一人か二人だ。そうそう偶然もないだろうと、そう言ったところで。
「苗床さん!」
「へ」
 また新しく控え室に入って来た女が、苗床の名を呼んだ。
 顔を見れば、俺にも見覚えがある。
「茸谷さん?」
 苗床が転校していった後で、珍しく俺が苗床から呼び出されて『大変身! ビフォアー
→ アフター』を手伝った女だ。
 一年経つはずだが、現れた姿も『アフター』のままなのは、少し偉いと思った。変身す
ることは手伝えても、持続させるには努力が要る。
「や、懐かしいね。……へー、今もちゃんとマーメイドなんだ」
「崩したら、松浪君に悪いから」
「続いてんだ! そりゃよかった」
 あの時は面白そうだから計画に協力するとか言ってたけど、結局仲は良かったってこと
なんだろうな。
 夢見を紹介された時には他の学校にも友達いたのかと思わず驚いちまったが、そう言え
ば他の学校に会いに行った時にも誰かと一緒にいたことはあった。あれはこの『大変身』
の後の学校だったか。
「そちらにも、いつぞやはお世話になりました」
 大変身の彼女は俺にもにこやかに挨拶をして、しばらく苗床と近況を話してから、順番
が来るのでと控え室を出て行った。
「苗床さん」
 次に苗床を呼ぶ声がした時、こういう全国区で人の集まる場所では、苗床には普通より
も『偶然』の起こる確率が高いのかもしれないという気がした。
 次は俺の知らない顔だった。
 お嬢様然とした女だ。
 もう、苗床に俺の知らない友達がいたって驚くまいと思った矢先だったが。
「鞠音」
 そんなものは即座に破られた。
 苗床が、名前呼び捨てかよ!
 まりね……これは、名前の方だよな。
 ……花井なみに親しいのか?
「久しぶりね、苗床さん」
「直接会うのは、高校入ってからは初めて? でもメールはしてんだし」
「あなたのメール短すぎて、近況がさっぱりわからないわ。もうちょっと書きなさいよ」
「悪い悪い、他にはあんまりメールもしないからさ」
 これには本当にびっくりした。
 俺の知らないところに、苗床に花井と同じレベルの友人がもう一人……つまり俺にとっ
ては打倒すべき相手が、もう一人いたかもしれないという事実に。
 俺がしげしげと見ていたせいか、少し怪訝そうにお嬢の彼女は俺の方を見た。
「こちらは?」
「あ、これは椿君。林堂中の前の学校……富ヶ丘のクラスメートで、今は高校同じ。椿君、
この子は水天宮鞠音。富中の次のガッコのクラスメートだったんだ」
「……はじめまして、よろしく」
「はじめまして」
 水天宮鞠音はお愛想の笑顔を俺に向けて、苗床としばらく話してから、自分の準備をす
ると言って離れていった。
 もう、本当に、次があっても絶対驚かねえ。
 そう思ったところで……
「苗床! 久しぶりじゃん」
 ……本当にあった『次』に、驚いたわけじゃない。
 それに俺は、その顔にも見覚えがあった。
 俺は、記憶力は良い方だ。ガリ勉でなくても成績が取れるのは、見たものをあまり忘れ
ないせいだ。
 あれはいつだったか。
 学祭の後だったはずだ。
 学祭の後で写真を届けに行った時だ。
 ……苗床に付きまとってた男。
 ……やべぇ。
 言葉にしたら、ものすげぇムカつく……!
「えーと……甘三津中の三並君か」
 救いは、苗床の記憶がそうはっきりしたものじゃなさそうだったことだろう。大して興
味がなかったってことだ。
 でも、相手の方はそうでもなく。
「舞台度胸にって出ることにしたけど、来て良かったよ。苗床が弁論とか、すんげー面白
そう」
「いやいや買いかぶりだよ」
 ……ムカつく。
 そういや、あの見かけた時もムカついたよな。
 あの時は、俺は苗床に惚れてる自覚はなかったけど。
 苗床もありえないとか言って、そんなつもりじゃまったくなかったから、うやむやにな
ったんだっけ。
 一度思い出したら、するすると記憶が甦って、腹の底からムカムカした。
 何にって、どうにもならなかったにせよ苗床をけしかけるようなことを言った自分に。
 時間を遡ってやり直せるなら、絶対にあんなことは言わねぇ。
 それ以前にだ!
 今、話してるのがどーなんだよ!
「苗床!」
「何、椿君」
 口を開きかけて、花井の顔が脳裏に閃いた。
「……なんでもない」
 ……そうだった。
 広い心。
 広い心。
 なんてぇ呪いの言葉だ。
 でもそこで、三並って男は慌てたように、「じゃ」とか言って去っていった。
 ……顔に出たか?
 ……まあ、いい。
 俺は何も言っちゃいないんだし。
 相手から去ってくれるんなら、俺が邪魔したんじゃないから、いいだろう。

 ――まだ続くんだろうかと、俺は少しイライラしながら控え室の出入り口を見た。
〜次へ〜

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