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 七夕に花井の家に呼ばれた。

 ――夕涼みするから、浴衣着てきてね。

 めんどくせーな。
 電話で言われてそう思ったが、しかし俺に着てこいって言う以上、他にも言っているこ
とは間違いない。
 つまり苗床にも言ってるはずだ。
 ただ苗床に自分で着付けが出来るとは思えない。
「苗床は? あいつ浴衣なんか持ってんのか?」

 ――……かのちゃんには、私の浴衣貸して着付けするの。

 俺の意図を察したような一瞬の沈黙が気にはなったが、まあツッコむのはやめておこう。
「わかった。着てく」
 周りが揃ってないと、苗床のことだから嫌がってすぐ脱ぐとか言いだしかねないしな。



 さて、七夕当日。
 俺は家で浴衣を着て、歩いて花井の家に向かった。
 中学の同学区なんだから家はそんなに離れちゃいないんだが、珍しい格好だからか、い
つにもましてじろじろ見られた。別に空気になりたい願望がある苗床とは違うから、他人
に見られたってどうってことはないが……着いて来られるのは、ちょっと勘弁だな。
 とりあえず、ふらふら後を着いてきたのを追い払ってから、花井の家に入った。
「いらっしゃい。かのちゃんがまだ着付け中だから、庭に回ってて」
 玄関に出て来た花井の後に着いて行きたい衝動に駆られたが、どうせ部屋には入れても
らえねーだろうから、素直に庭に出た。
 庭に出ると、もう他の連中は揃っていた。
「お、椿ー。おせーよ」
「時間ぴったりのはずだぜ」
 庭にいたのは、夏草、山田、杜若。これに花井と苗床を加えたら、誕生日会の面子だ。
「椿君、カッコイー!」
 ……山田、お前、男子校で本当に目覚めたんじゃねーだろうな。
 庭にはキャンプで使うような野外用のテーブルが一つ出されていて、その横に飾り付け
られた笹が立てられていた。
「椿君、これ書いてぇな」
 杜若が、短冊を持ってくる。
 あるとは思ってたが……
 正直、夕涼みはともかく、七夕に付随するイベントには興味がない。
 願いをかけただけで、叶う願いなんざあるものか。
 しかし先にいた三人は、わいわい好きに書いていたところだったようだ。
 ……いつもの苗床だったら「ばっかじゃなかろうか!」と吐くところだろうが、今日は
言わねぇんだろうな。
 苗床が気を遣うのは悪いことじゃないのはわかっちゃいるが、それが他のヤツのためだ
というのが、少しだけ気に入らない。
 …………
 正直に言う。
 花井のために気を遣うのが、ちょっとだけ気に入らね。
 俺には欠片も、あいつ気ぃ遣わねーしよ。
 …………それは、俺には甘えてんだと思うことにしておく。
 三人も、また短冊書きに戻ったので、俺も短冊を眺めた。
 何か書くなら、何がいいか……



「おまたせー」
 花井と苗床が庭に出てきた。
 花井は白地に朝顔の柄。
 苗床は紺地に青と白の花と蝶の柄。
 花井はにこやかだが、苗床は花井に手を引かれて、どうにも嫌々という雰囲気が出てい
た。
「花井も苗床も似合うよ、可愛いぜ」
 ああ、こういう時には夏草が羨ましいんだか恨めしいんだか。
 口が動くのが早ぇーから、先越される。
「短冊、もう書いた?」
 花井が杜若に訊いた。
「ぎょうさん書いたわ」
 で、もう飾ってある。
 俺も一枚は書いて、ぶら下げた。
「じゃ、後はかのちゃんだね」
「え、桃ちゃんは?」
「私は、もう先に書いて飾ってあるよ」
 苗床は顰め面で短冊を受け取った。
 案の定、だな。
 七夕で、短冊に願い事を書くなんて初めてなんだろう。
 俺ももう一枚短冊を取って、椅子を引いた。
「あれ、椿君、まだ書いてなかったの?」
 隣に座った俺を、苗床が見上げる。
「一枚は書いた。もう一枚書くんだよ。夏草なんか、五枚も書いたぜ」
「わあ」
 苗床……その驚きの声、棒読みだぞ。
「……こんなの初めてだから、何書いていいかさっぱりだよ」
「だろうと思ったぜ。七夕祭りなんか、やったことねーんだろ」
「あ、ばかにして。七夕祭り自体は大好きだったよ、毎年!」
 ……意外な話だ。
「みんな七夕マジックで、ばんばん本音、短冊に書くからね! 読むのが、毎年超楽しみ
だった」
 ……そっちかよ。
「類似イベントは、正月の初詣の絵馬」
 短冊とか絵馬の内容をメモしまくりな苗床が目に浮かぶ……
「でも見るのに夢中で、自分で書いたことないんだよね」
 ああ、そうだろうよ。
 お前、素になってんぞ。
 花井が困ってるの気がついてないな。
 花井ももう一枚短冊を取って、向かいに座った。
「……かのちゃん、私も、もう一枚書くね。一緒に考えよう?」
「う、うん!」
 ……くそ、俺の時と違って嬉しそうな顔しやがって。
 俺は苗床が『桃ちゃんとずっと一緒にいられますように』という願い事を書くのを眺め
てから、自分の二枚目を書いた。
「なんて書いたの?」
 苗床が覗き込んできたので、隠さず目の前に差し出した。

『苗床が大人になりますように』

「なにこれ!」
「本当にガキで困るからだ」
 文句は受け付けねぇ。
「もう一枚は?」
「見てこいよ」
 名前は書いてないがな。
 それも文句は受け付けねぇ。

 ――笹の葉には『打倒、花井』と書かれた短冊が揺れている。

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