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「ねえ、椿君と夏草君は塗らないの?」
 ……なにか、他人に日焼け止めを塗るという行為が苗床の心の琴線に触れたらしい。ま
ったく初めての経験だったからか。
 そう訊く苗床は、別に特に嬉しそうというわけでもなく、ただ疑問に思ったように訊い
てきただけだが。苗床は興味を持たないことには動きもしないというのは、ここにいる三
人なら知っている。
 だから淡々となんでもない顔をして訊いていても、そう訊いたってことは、そうしたい
って意思表示と同義だと思っていい。
 日焼け止めを塗る男ってのは、比較的レアな存在だ……ということを、苗床は知らない
んだろう。
 そもそも苗床は化粧っ気がない。日焼け止めすら初めて今回塗ったんだろうから、日焼
け止めに関する常識がやや不足していても仕方がない。
 ちらりと花井を見ると、ちょっとハラハラした様子で苗床を見ている。
 もちろん花井は、男が塗ることはあんまりないってのは知ってるんだろう。
 ……引き留め損ねたってとこか。
「え、俺はいいよ」
 俺が黙ってるうちに、先に夏草が答えた。
「外でサッカーするのに、そういうの塗らないし」
「そうなんだ。男の子は塗らないもん? 椿君は?」
 勘は良いから、大体は女が塗るもんだってすぐ気がつくんだろうが。
 俺は、苗床が言い出してから夏草が答えている間、ずっと考えていた。
 促されて、結論を出す。
「じゃあ俺は塗ってもらうか」
 びっくり顔をしたのは、花井だ。
 夏草は多分、普通がどうとかは考えてない。
「……椿君」
「なんだよ、花井」
 しれっと聞き返すと、花井は一度黙った。
「日焼け、気になるの?」
「インドア派だからな」
 嘘だ。
 アウトドア派じゃないのは間違いないが、別に日焼けしたって構わない。
 ただ苗床が日焼け止めを塗ってくれるっていうのが、いい。
 ……そんなことは、花井もわかってるんだろう。
 俺はパーカーを脱いだ。
「そこ座って」
 言われるがままに、レジャーシートの上の苗床の前に座る。
「あ、二人とも、先遊んでていいよ。すぐ行くから」
 って言ったのは、俺じゃないぞ。苗床だ。
 気を回したつもりなんだろうが。
 花井は、少し心配そうな顔をした。
「じゃあ、行ってこようか。花井」
 夏草は喜んだらしい。
 まあ、花井と二人きりになれるんだからな。
「行ってろよ、花井、夏草」
 俺ももちろん、苗床に同意する。
「ん……かのちゃん、見えるとこにいるからね。待ってるから」
「うん、すぐ行くよ!」
 それで、夏草と花井は波打ち際の方へ。
 俺は花井に牽制されたような気がしないでもないが、気にしないことにして、苗床がい
そいそと手に日焼け止めを取るのを見ていた。
「桃ちゃんには顔塗らなかったから……まんべんなく塗るの難しいな」
 俺の顔に手を伸ばして、塗り始める。
「ゆっくり、やりゃあいいさ」
 いくらでも、ゆっくりやればいい。
 たとえ水に入る時間がなくなったって、構やしねーし。
 苗床の手が、俺を一所懸命撫でる。
 顔が終われば、首へ。それから腕へ。
 俺はくすぐったいような気持ちで、顔が笑うのをこらえていた。
 笑うって言うか、なんて言うか。
 ……なんとも言えなく、エロい。
 脚に至って、ちょっとヤベーなと思った。
 やってみるまで、ここまでだとは俺も思ってなかった。
 ……他のヤツにやらねーように、後で普通の男は日焼け止め塗らねぇって教えておか
ねーと。
 さてずっとこうしていられれば、このままでもいいかと思ってたが、残念ながら終わら
ないものはない。
「椿君、身体大きいからすっごい大変」
 黙々と塗ってた苗床が、「終わったー」と息を吐いた。
「サンキュ。お前は、全部塗ったわけ?」
「桃ちゃんに塗ってもらったよ」
「中も?」
 このワンピみたいな水着でも、テンションは上がるんだが。
 実は中がビキニなのも、知ってるから。
 俺は、前に座ってる苗床の襟ぐりを引っ張って、中を覗いた。
「わ! 何すんの」
「いいじゃねーか、中だって水着だろ?」
 ビキニの水着と下着の差は、素材以外にはないような気もするが。
「み、水着だけど」
 やっぱりそこまで露出するのは嫌なのか、苗床が胸を押さえてじりじりと逃げる体勢に
なった。
 ……そのポーズは余計エロいぜ、苗床。
「塗ったのか?」
「……塗ってない、けど」
「泳ぐ時も、それ脱がねーの? 中も塗った方がいいんじゃね?」
 逃げ腰の苗床を追いかけて、今度は下から水着を捲る。
「塗ってやるよ」
「ちょ、ちょっと待って、椿君!」
 逃げられないように苗床を抱き込んで、水着のワンピをたくしあげた。
 苗床は暴れたが、小せーから押さえられる。
 それで、胸までたくしあげたところで。
「椿君っ! かのちゃんに何してるのっ」
「ぐっ……!」
 走って来るのに気がつかなかったのは、苗床を脱がすのに夢中だったからだとして。
 声より先にぶん殴るとか、いつの間に手の方が速くなった、花井。
 俺は花井に殴られた頭を押さえながら、花井が仁王のような顔で俺を見下ろしているの
を見上げた。
 手が緩んだ隙に、苗床には逃げ出された。
 いいとこで邪魔しやがって。
「椿ぃ……だから、外ではヤバイって」
 後ろから花井を追いかけて走って来たらしい夏草が、言った。
 どんだけ速く走ってきたんだ、花井。
 夏草には前にも言われた気がするな。
 ……わかった。
 ――次は、人目のないところでやろう。

〜続く〜

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