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「絶対俺たち、兄妹だと思われてるよな」
 俺は激しい既視感に襲われながら、ホテルの部屋の二つ並んだベッドを見た。
 目眩がしそうだ。
「だろうね。私、チェックインの時『椿かのこ』って書いたし」
「ハァ!?」
 俺は、苗床が荷物を置きながらサラッと言った言葉に、本気で目を剥いた。
「椿かのこって……」
「他人の男女を一つの部屋に放り込むとか、向こうも責任問題で面倒じゃん? 兄妹なら
問題ないでしょ」
 社会的にはな。
 現実は他人なんだよ!
 そう思えば、血が繋がったり切れたりするわけじゃねーんだよ!
 他人の男女が一つの部屋に泊まってるのは変わりねーんだっつーの!
 ……『椿かのこ』とか。
 夢見させんなよ、俺に。
 兄妹にも姉弟にもなることはないが、お前が『椿かのこ』になる時は……
 俺が未来予想図に一人で照れている間に、苗床はさっさと部屋の中を確認したようで。
「じゃあ先にお風呂入らせてもらうね」
 気がついたら備え付けの浴衣を持ってバスルームに入るところだった。
 ……腹が立つほど無警戒だな。
 シャワーの音が聞こえると、当然の如く俺は無心ではいられなかった。
 シャワーを浴びるには服を脱がなきゃならなくて、服を着ていたら濡れちまうから、も
ちろん当然裸なわけで。
 …………
 俺は何故我慢しなくちゃいけないのかと、根底から疑問が湧いてくる。
 シャワーの単調な水音が、俺の中のどこかを麻痺させたようだった。
 俺が何かに操られるように立ち上がった時。
 訪問を知らせるチャイムが鳴った。
 なんだよ、このタイミングで!
 俺の決意を絶妙のタイミングで邪魔してくれた腹立ちを抱えて、ドアを開けた。
「誰だ」
 扉の前の顔には見覚えがあった。昼間見かけたADだ。
 俺は腹が立っていた。
「ツカサに近づくな……!」
 だから目の前の男の手にあった刃物が視界に入った時、乱暴な手段を取ることに躊躇い
は感じなかった。
 扉を開けた隙間から体をねじ込むように中に入って来ようとした男を、まず重い扉を思
い切り手前に引いて挟んで。
「うわっ」
 それから腹を蹴り飛ばす瞬間に扉を緩めた。
 蹴り飛ばされた男は、そのままの勢いで向かい正面の壁にぶつかって跳ねる。
 俺はそのまま部屋を飛び出して、まだナイフを持つ手を蹴り上げてナイフを飛ばし、腹
にパンチを入れて崩れたところを上から体重をかけて踏みつけた。
「ぐぅ……」
 俺も手慣れてるわけじゃないが、相手もド素人なような気がした。
 すばしこくも注意深くもねーな。
 ……扉を開けた瞬間のセリフを思い返してみれば。
 俺とツカサなんて、チラッと話してただけじゃねーかよ。
 あれか、昼間ツカサから俺に近づいたので更にキレたのか。
 冷静さをなくした結果、か。
 でも俺と苗床に置き直したら、少し気持ちもわかるような気がした。
 ……ちょっとヤベェな、俺も。
「何があったの、椿君」
 扉から覗くホテルの浴衣を着た苗床を振り返って。
「人呼んでくれ、苗床。こいつ、この映画のADで、多分ツカサのストーカーだ。今日一
日俺を狙ってたのも、多分これだ」
 そしてそれは正解だった。



 鬱陶しい事情聴取は翌日で、もう夜だったから簡単に話をして引き上げてきたのでも、
ホテルに戻ってきたのは結構遅い時間だった。
 苗床はホテルに残っていたから、もう寝てるかと思ったが。
「おかえり」
「寝てなかったのか」
「先に寝るのは悪いかなと思ってさ」
 にししと笑う苗床の様子に、やっぱり危機感はない。
 ……アイツがあの時来なかったら、お前、今頃笑ってられるような状況じゃなかったん
だぞ。
「シャワー浴びなよ、疲れてるでしょ」
 タオルを渡されて。
 俺は、もう一度仕切り直してみようかとちらっと思う。
 黙ってバスルームに入り、頭を冷やすように冷たいシャワーを浴びた。
 それでも。
 シャワーを浴びて出たら。
 そればっかり頭の中でぐるぐる回って熱が出そうだ。
 ずっと浴びてるわけにもいかないから、意を決して浴衣を羽織ってバスルームを出ると
……
 …………
 苗床は寝ていた。
 ベッドの中にきちんと収まって。
 俺が帰って来るまでが、お前の良心だったか……
 すやすや寝ている苗床の頭を撫でてみる。
 ……まったく起きる気配はない。
 むかついて、鼻を摘んでみた。
 ……顔を顰めたが起きない。
「……ホント無警戒でやんなるぜ」
 寝ている女をどうこうするのはルール違反だっていう警告が頭の中で点滅して、少しだ
け俺の中の理性が戻って来たらしいことを自分で感じた。
「……このくらいは許されるよな」
 俺は苗床の前髪を上げて、おでこにキスして。
 それから、俺は、今までの人生で一番眠れない夜を過ごした。

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